櫻井翔さんが8月8日(木)放送の「徹子の部屋」に10年ぶりに出演することが話題になっていますね。
当日の放送では、黒柳徹子さんと共に、過去に「徹子の部屋」で紹介された著名人の戦争体験がVTRで振り返られ、黒柳さんが戦争に対して抱いてきた思いが深掘りされる予定です。
さらに、8月11日(日)には、櫻井さんの強い希望で実現した特別番組『徹子の部屋「戦争」を忘れない〜櫻井翔が聞く黒柳徹子の記憶〜』が放送される予定で、こちらも注目されています。
このように、櫻井さんが戦争に関心を抱いていることは明らかですが、彼が戦争に興味を持ち始めたのは一体いつからだったのでしょうか?
その背景を探っていきたいと思います。
ぜひ一緒に見ていきましょう。
櫻井翔が戦争に興味持ち始めたのはいつから?
櫻井翔さんが戦争に対する関心を深め始めたのは、
2015年8月4日放送の「戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」の少し前から
だと考えられます。
今から9年前に日本テレビで放送された「櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」
この特別番組では、戦争の歴史や影響を深く掘り下げる内容が展開され、櫻井さんはパプアニューギニアの「パイロットの墓場」と称された激戦地を訪問したり、元特攻隊員の取材などを行いました。
放送にあたって、櫻井さんは次のようにコメントしています。
NEWS ZEROの取材で「太平洋戦争」を継続的に扱ってきた中で、自分にとって大きな軸である「戦争」に関する番組に携われることに身が引き締まる思いです。特にパプアニューギニアでの取材は、非常に濃密な体験でした。
櫻井翔さんは2006年からNEWS ZEROのキャスターを務めていて、ここから戦争や社会問題に対する関心が深まり、彼にとって戦争は「大きな軸」となっていったようです。
さらに櫻井さんは
日本国民の多くが戦後生まれである中で、一人でも多くの人に戦争の歴史を知ってもらう手助けができればと思っています。
このように、櫻井翔さんの戦争に対する理解と関心は、テレビ番組や取材を通じて徐々に深まっていったことが伺えます。
「教科書で学べない戦争」の放送内容は?
続いて、2015年8月4日に放送された「戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」の内容について詳しく見ていきましょう。
この番組では、戦争の歴史とその影響を深く掘り下げていました。
特に、戦後70年という節目を迎えたことが強調されました。
戦争を直接知る世代が減少しつつある今、戦争の記憶を次の世代にどう伝えていくかが大きなテーマとして取り上げられました。
終戦時に生まれた方々はすでに70歳、戦争を記憶している方々も80歳を超えており、その記憶が風化する危機感を訴えるものでした。
(数字・年齢は番組放送当時のものです)
この番組は、そうした記憶を継承し、「戦争を知らない世代」に対して、あの時何が起きたのか、なぜ起きたのかを伝えることの重要性を強調するものとなっていました。
櫻井翔の取材内容
では、次に櫻井翔さんが「教科書で学べない戦争」で行った取材内容について詳しく見ていきましょう。
特攻隊の取材
櫻井さんは鹿児島県の知覧特攻平和館(ちらんとっこうへいわかいかん)を訪れています。
ここで、特攻隊として出撃した方々の遺影が壁一面に並ぶ光景に櫻井さんは言葉を失います。
鹿児島県南九州市知覧町(ちらんちょう)にある博物館で、第二次世界大戦中の特攻作戦に関する資料や遺品が展示されています。
知覧町には旧陸軍の特攻基地があり、知覧特攻平和館はその跡地に1975年に設立されました。
館内には陸軍特攻隊員の遺影や遺品が展示されています。
知覧特攻平和館の館内
櫻井さんは、ここで若い特攻隊員が家族に宛てた手紙の前で立ち止まりました。
こちらは岩手県住田町出身の佐藤新平少尉が母親に宛てた手紙です。この手紙には次のような言葉が記されています。
あの時、お母さんと東京を歩いた思い出は、極楽に行ってからも楽しい懐かしい思い出となることでしょう
当時は検閲があったため、真の感情を全て伝えることは困難でしたが、若者が家族を恋しく思う気持ちは強く伝わってきます。
櫻井さんはじっと手紙を見つめ、その表情からはやりきれない気持ちが伝わってきます。
櫻井さんは、特攻隊員が本当に自発的に志願したのかという疑問を抱き、元特攻隊員の長田さんに話を聞きました。櫻井さんは次のように質問します。
特攻隊員は志願だったのですか?
長田さんは「辞令一本です」と答えます。
さらに櫻井さんは
では、いわば強制のようなものだったということですか?
と続けます。
「結局そうです、命令です」と長田さん。
このように、櫻井さんは教科書には書かれていない、しかし実際に起こった事実を自らの言葉で伝えました。
祖父も行ったパプアニューギニアでの遺骨収集
櫻井翔さんが戦争に対する関心を持ち始めた一因には、祖父・櫻井三男さんの影響が大きいと考えられます。
櫻井さんの祖父は新聞記者として、戦時中に多くの日本兵が命を落としたパプアニューギニア・ラバウルでの遺骨収集団に従事していました。
櫻井翔さんは「教科書で学べない戦争」で祖父が訪れたのと同じラバウルを訪問し、遺骨収集に取り組みます。
そこで彼は、祖父が感じたであろう戦争の現実や遺族の思いを深く実感することとなります。
第二次世界大戦中の兵士たちの遺骨収集に熱心だった祖父と、時を経てその孫が同じ地で、同じ活動を行うというのは感慨深いものがあります。
祖父の足跡を辿ることが、櫻井翔さんが戦争に対する関心を持ち続ける理由の一つであることは間違いないでしょう。
まとめ
櫻井翔が戦争に関心持ち始めたのはいつから?
戦争への関心の始まり
- 櫻井翔さんが戦争に対する関心を持ち始めたのは、2015年8月4日に放送された「戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」の少し前からと考えられます。
- NEWS ZEROで「太平洋戦争」を継続的に扱う中で、戦争への関心を深めていきました。
特別番組での活動
特にこの特別番組では、戦争の歴史や影響を深く掘り下げた取材を行い、その重要性を解説しました。
戦争への強い願い
櫻井さんは「一人でも多くの人に戦争の歴史を知ってもらいたい」と強い願いを抱いています。
祖父の影響
- その動機には、祖父・櫻井三男さんの影響が大きいと考えられます。
- 祖父が新聞記者として訪れたパプアニューギニア・ラバウルを、櫻井さん自身も訪問し、祖父と同じ遺骨収集活動を行っています。
この体験を通じて、櫻井さんは祖父が感じたであろう戦争の現実と遺族の思いを深く実感し、戦争についての理解をさらに深めたと考えられます。
櫻井翔が徹子の部屋に出演
8月8日(木)13:00放送の「徹子の部屋」では、三波春夫さんや美輪明宏さんなど著名人の戦争体験がVTRで振り返られ、櫻井翔さんと黒柳徹子さんが戦争に対する思いを語る予定です。
また、櫻井さんが独自に行った取材も公開され、彼の戦争に対する取り組みにもスポットが当たります。
さらに、8月11日(日)13:55には「徹子の部屋」の特別番組「戦争を忘れない ~櫻井翔が聞く黒柳徹子の記憶~」が放送される予定です。
櫻井翔さんが戦争についてどのような考えを語るのか、非常に興味深い内容となっています。
当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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