女帝89歳正下文子生保レディに開業医を紹介!地元銀行頭取は誰?山口銀行のドン!

人物

8月14日(水)に放送された「世界の何だコレ!?ミステリーSP」で、89歳の生保レディが2020年に総額22億円を詐欺で騙し取ったという衝撃の事件が取り上げられました。

この生保レディ、正下文子(まさした ふみこ)さんは「女帝」と呼ばれるほどのカリスマ的存在で、長年にわたり第一生命保険のトップ営業職員として知られていました。

彼女の成功の背景には、地元銀行の営業部長(後の頭取)からの強力なサポートがあったことが分かりました。

この「地元銀行(後の頭取)営業部長」はだれ!?


この地元銀行の営業部長は、実力者として「地元銀行のドン」や「天皇」とも呼ばれていました。

さて、この地元銀行の営業部長(後の頭取)は誰なのでしょうか?
どんな人物なのか気になったので調べてみました。

女帝89歳生保レディに開業医を紹介した銀行員は誰?

山口銀行 田中耕三頭取
https://www.sankei.com/west/

正下文子生保レディに開業医を紹介した銀行員は山口銀行の田中耕三さんです。

当時、田中さんは山口銀行の営業部長を務めており、正下文子さんの営業成績を飛躍的に向上させた立役者です。

彼の支援により、正下文子さんは第一生命のセールスレディとしての地位を確立し、営業成績トップの座につくことができました。

正下文子の第一生命での特別な経歴

ライリー
ライリー

女帝と呼ばれるまでに出世した正下文子さんの第一生命でのキャリアとはどんなものだったの?

正下文子さんは1987年(当時:55歳)に優秀な成績を収めたことで外務調査役に任命され、その後も順調にキャリアを積み上げていきました。

2006年(当時:75歳)には定年が75歳から80歳に延長され、さらに2011年(当時:80歳)には上限が85歳に引き上げられました。

そして2016年(当時:85歳)には全国でただ一人の特別調査役に就任し、事実上彼女に対する定年がなくなりました。

このように、正下文子さんの第一生命でのキャリアは非常に影響力が大きく、この特別な環境の中、彼女は89歳になる2020年7月まで勤務を続けました。

ライリー
ライリー

勤めていた第一生命の定年の上限を変えてしまうほど、正下文子さんの影響力は大きかったんだね

モーリー
モーリー

唯一の特別調査役に任命、といのも驚きね

ライリー
ライリー

89歳の2020年7月まで勤務していたとは。つい最近の話なんだね。

山口銀行・田中耕三氏の影響力と女帝正下文子との関係

正下文子さんがこれほど華麗な経歴を築けたのは、山口銀行の行員・田中耕三さんの影響力によるものといえるでしょう。

田中さんは山口銀行の支店長たちとの強い関係を活かして、正下文子さんに多くの開業医を紹介し、彼女の営業活動に大きく寄与しました。

その結果、正下文子さんは山口県内の医師たちを次々と顧客にすることができ、トップセールス・ウーマンの地位を築きました。

この支援があったからこそ、正下文子さんは「山口の開業医の8割は私のお客さんよ」と豪語するほどの影響力を持つことができたのです。

なぜ開業医を顧客にすると営業成績が爆伸びするのか

正下文子氏が当時勤務していた第一生命の徳山分室 
https://web.archive.org/web/20201129210328/https://bunshun.jp/articles/-/41790

開業医を顧客に持つことが、なぜ営業成績に大きな影響を与えるのでしょうか。

勤務医が開業する際には多額の資金が必要です。そこで、正下文子さんが山口銀行とつなぐことで、開業医たちはスムーズに融資を受けることができました。

開業時からのサポートを受けることで、医師たちは正下文子さんに強い信頼を寄せるようになり、後輩の開業医を紹介することも多くなりました。

このようにして、正下文子さんは山口市内の医師たちを次々と顧客にすることができたのです。

山口銀行の田中耕三氏はどんな人?

正下文子・第一生命生保レディに開業医を紹介し、彼女の営業成功に影響を与えた銀行員、田中耕三氏とは一体どんな人物だったのでしょうか?その経歴を詳しく見ていきましょう。

  • 1926年: 山口県徳山市(現・周南市)に生まれる。
  • 1953年: 山口銀行に入行。
  • 1992年: 山口銀行の代表取締役頭取に就任(~2002年まで頭取を務める)。
  • 2000年: 個人向けインターネットバンキングのサービスを開始。
  • 2001年: 中国銀行(中華人民共和国)との業務提携を実現。
  • 2002年6月: 相談役に退くが、本店に専用の個室を持ち、役員並みの報酬、運転手付きの専用車を提供される。
  • 2017年9月: 特別社友に退くが、その後も同行の社宅である一軒家に住み続ける。
  • 2021年: 95歳で亡くなる。

田中耕三氏の山口銀行での特別な地位と影響力

2002年6月には相談役に退きましたが、田中氏は本店に専用の個室を持ち、役員並みの報酬や運転手付きの専用車を提供されるなど、引き続き強い影響力を持ち続けました。2017年9月には特別社友に退任しましたが、その後も山口銀行の社宅に住み続け、地域社会における影響力を保持し続けました。

特別社友とは

特別社友とは、会社に所属していないが、特に深い関係を持つ人を指します。通常、引退した元社長や役員などがこの待遇を受けることが多いです。
特別社友は、会社から特別な厚遇を受けることがあり、例えば、報酬や専用のオフィス、運転手付きの車などが提供されることがあります。

女帝正下文子との関係とその影響

田中耕三氏の影響力は、正下文子さんとの密接な関係にも見られました。正下文子さんは、彼の紹介で多くの開業医を顧客にし、営業成績を飛躍的に向上させました。

しかし、この関係が問題視されることもありました。2020年には、正下文子生保レディによる総被害額19億円とも22億円ともいわれる詐取事件が発覚し、山口銀行を傘下に持つ山口フィナンシャルグループ(FG)にも波紋を呼びました。

被害者の弁護団は、「金融詐取の過程で山口銀行の行員が同席していた」と告発しましたが、山口FGは調査結果を公表していません。

22億円詐欺事件後の動きと幕引き

田中頭取は事件発覚後の2020年11月末に特別社友を辞任しました。山口FGはこの人事をもって事件の幕引きを図ったとされています。

長らく「影のドン」として君臨していた田中頭取の退任は、地域金融界に大きな影響を与え、こうして終わりました。

まとめ

正下文子に開業医を次々紹介した地元銀行の頭取とは?

山口銀行の田中耕三氏です。田中氏は山口銀行の営業部長(後に頭取)として、正下文子・元第一生命職員に多くの開業医を紹介しました。

彼のおかげで、正下文子さんは「山口の開業医の8割は私のお客さんよ」と豪語するほどの強力な営業力を持つことができました。

田中耕三氏ってどんな人?

田中耕三氏は、1926年に山口県で生まれ、1953年に山口銀行に入行。1992年には代表取締役頭取に就任し、銀行の改革と成長に寄与しました。

特に、個人向けインターネットバンキングの導入や中国銀行との業務提携など、数々の業績を上げました。

2002年に相談役に退いた後も、特別な地位と影響力を持ち続け、2017年には特別社友として活動を続けました。

田中耕三頭取と正下文子との関係は?

正下文子さんとの関係では、彼が紹介した多くの開業医が彼女の顧客となり、正下文子さんの営業成績が飛躍的に向上しました。

しかし、この密接な関係が問題視され、2020年に正下文子さんの詐欺事件が発覚。これを受けて田中頭取は特別社友の地位を辞任しました。

彼の退任は、事件の影響を最小限に抑えるための一手だったとも言われています。

今回は、総額22億円を詐欺で騙し取った89歳の生保レディ・女帝正下文子
と、彼女に開業医を紹介した山口銀行・田中耕三頭取
について深堀りしてお届けしました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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