11月30日(土)19:00から放送されるNHKの特集番組「ゾウと共に生きる」では、アフリカゾウの研究と保護活動で世界的に知られるイアン・ダグラス=ハミルトンに迫ります。
アフリカの象の保護活動家・イアン・ダグラス・ハミルトン博士(82歳)(出典:biology.ox.ac.uk)
彼は、アフリカゾウの行動や生態を科学的に解明し、彼らの未来を守るための数々の功績を残してきた、まさにゾウ保護の先駆者。その人生は、野生動物保護の歴史において重要な位置を占めています。
では、イアン・ダグラス=ハミルトン(Iain Douglas-Hamilton)とは一体どんな人物で、どれほどすごい人なのでしょうか?
ここでは、彼の経歴やプロフィールだけでなく、支え合う家族や妻や子供たち、そしてその絆についても深掘りします。
イアン・ダグラス=ハミルトンの生い立ち
イアン・ダグラス・ハミルトン(82歳)は、1942年8月16日、イギリス・ドーセット州シャフツベリー近郊のファーン・ハウスで生まれました。
彼の家族は名門の血筋を引いており、幼少期からその環境に多大な影響を受けて成長しました。
幼少期と家族の支え
イアンの父親はイギリス空軍のスピットファイア・パイロットであったデイヴィッド卿、母親は女性フィットネスの先駆者アン・プルネラ・スタックという人物でした。
そして、祖父は第13代ハミルトン公爵アルフレッド、祖母は動物愛護活動家のニーナ。そんな家系で育ったイアンは、幼い頃から大きな影響を受けることになります。
象の専門家・イアン・ダグラス・ハミルトン博士(出典:savetheelephants)
残念ながら、イアンは幼少期に父親を第二次世界大戦で失いましたが、母親と兄のダーミッド(後に物理学者として活躍)に育てられ、家族の支えを受けて成長します。
洗礼式では、叔父ナイジェル(セルカーク伯爵)や叔母マーガレット卿夫人が代父母を務めるなど、家族や親戚からの深い愛情を感じながら育ったことがわかります。
少年時代からの夢
イアンはスコットランドの名門校ゴードンストウン・スクールに通い(1955~1960年)、その頃から「アフリカ中を飛び回りながら動物を救いたい」という夢を持ち始めます。これが後のアフリカゾウ保護活動へとつながっていくきっかけとなります。
学業とゾウへの情熱
イアンは高校卒業後、オックスフォード大学に進学し、動物学を専攻しました。
1965年に学士号を取得し、1972年には博士号(D.Phil.)も取得。この頃、彼のゾウへの情熱はますます深まり、アフリカでのゾウ研究と保護活動に人生を捧げる決意を固めたのでした。
イアン・ダグラス=ハミルトンの家族構成は?結婚はしているの?
イアン・ダグラス・ハミルトンの家族構成について気になる方も多いでしょう。イアンは結婚しており、妻と子どもたちそれから孫たちもいます。次に、彼の家族について詳しくご紹介します。
イアンの妻:オリア・ダグラス・ハミルトン
イアンの妻:オリア・ダグラス=ハミルトン(出典:douglashistory)
イアンの妻はオリア・ダグラス=ハミルトン(Oria Douglas-Hamilton)です。オリアは、ケニアのサンブル国立保護区で「エレファント・ウォッチ・キャンプ」を運営し、夫イアンとともにゾウ保護活動に尽力しています。では、オリアはどのような人物なのでしょうか?
オリア・ダグラス=ハミルトンの生い立ち
オリアは1930年代、ケニアの東アフリカ植民地時代に生まれました。彼女の母親はフランス人彫刻家で、ロダンのもとで修行を積んだギゼル・バノー・ヴァリラ、父親は第一次世界大戦で軍人として活躍したイタリア人のマリオ・ロッコという異国の血を引く家庭に育ちました。
オリアの家族は芸術と冒険を愛する人々で、彼女もその影響を受けて育ちました。
オリアの母親は彫刻家として活躍し、父親は象牙の取引に関わることもありました。そんな家庭環境で育ったオリアは、芸術や冒険に溢れた生活を送りましたが、ゾウへの情熱を抱くようになったのは、後にイアンと出会うことで変わります。
イアンとの運命的な出会い
1969年、オリアはイアン・ダグラス・ハミルトンと出会います。当時、イアンはタンザニアの湖水地方でゾウの行動を研究しており、その研究はオックスフォード大学の博士課程の一環として行われていました。
イアンの妻:オリア・ダグラス=ハミルトン(出典:Face Book)
二人は瞬く間に惹かれ合い、短期間で結婚を決意。オリアはイアンと共にタンザニアに移り住み、彼の研究とゾウ保護活動を共に進めるようになりました。
ゾウに魅了されたオリア
オリアは最初、ゾウについてほとんど知識がありませんでしたが、イアンとともにゾウと触れ合ううちに、その魅力に取りつかれていきます。
「ゾウに惹かれたのは、その大きさか、力強さか、それとも優しさだったのか。はっきりとは分からなかった。ただ、ゾウに囲まれるのが大好きだった。」
(オリア著『Among the Elephants』より)
このようにして、オリアもゾウの保護活動に心から情熱を注ぎ、夫婦での協力関係はより強固なものとなりました。
妻:オリア・ダグラス・ハミルトン著「NHK未来への教室」(出典:Amazon)
イアンの子供は?
イアンとオリアには2人の娘、サバとドゥドゥがいます。二人は自然に囲まれた特別な環境で育ち、家族の保護活動に自然と参加するようになりました。それぞれが独自の方法で社会に貢献しています。
長女:サバ・ダグラス=ハミルトン
・Saba Douglas-Hamilton
・1970年6月7日生まれ(54歳)
・BBCの野生動物番組のプレゼンターとして活躍。
・アフリカの自然やゾウの魅力を多くの人々に伝えています。
長女のサバ・ダグラス=ハミルトン(出典:berkshirewoman)
次女:ドゥドゥ・ダグラス=ハミルトン
・Dudu Douglas-Hamilton
・1971年1月1日生まれ(53歳)
・映画制作者として、野生動物や地球環境に関するドキュメンタリーを手がけ、自然保護の重要性を広めています。
次女のドゥドゥ・ダグラス=ハミルトン(出典:flixpatrol)
イアン・ダグラス=ハミルトンのアフリカでの活動
イアン・ダグラス・ハミルトン博士の人生の大きな転機は、アフリカでの生活と研究がきっかけでした。彼の情熱は、ただの学問的なものではなく、アフリカゾウを守るための実践的な活動に向けられていったのです。
ここからは、彼がどのようにしてゾウの保護に取り組んできたのか、そのエピソードを紹介します。
若き日の挑戦:タンザニア・マニャラ湖国立公園での研究
アフリカゾウの行動を科学的に解明
イアンがアフリカでのゾウ研究を始めたのは、23歳のとき。彼が選んだ場所は、タンザニアのマニャラ湖国立公園です。
ここでイアンは、アフリカゾウの社会的なつながりや行動を初めて科学的に調査しました。
彼は、ゾウたちがどうして同じ場所に集まるのか、どのようにして移動するのか、その行動パターンを一つ一つ観察しました。
これにより、環境の変化がゾウたちの行動にどんな影響を与えるのかを解き明かそうとしたのです。
イアンは後に、「当時、ゾウを個体として研究する人は誰もいなかった。だからこそ、私は幸運だった」と語っています。
彼の研究は、後にオリアとの共著書『Among the Elephants(象たちの中で)』として世に出ました。
ウガンダでの命がけの保護活動
危険な密猟との戦い
イアンの活動は、研究だけにとどまりません。1980年から1982年にかけて、ウガンダに赴き、アミン政権崩壊後の混乱した時期に活動をしていました。
彼は名誉チーフパークワーデンとして、密猟を阻止するために尽力したのです。
特に北部のキデポ国立公園では、スーダンからの密猟者との衝突が続き、イアンは何度も命を危険にさらされる場面に遭遇しました。あるとき、イアンが操縦する飛行機が銃撃を受けるという危険な状況にも直面しています。
その中でも、ムーチソンフォールズ国立公園では、エリザベス王太后が訪れたロッジを復元しながら生活。自然保護のために、あらゆる困難に立ち向かいました。
現在の活動拠点:ケニア
「Save the Elephants」設立
イアンはその後、家族とともにケニアへ移り住み、現在もゾウの保護活動を続けています。
1993年には、彼が設立した非営利団体「Save the Elephants」が注目を集めました。この団体は、ゾウの保護に特化した活動を行い、密猟の監視や人間とゾウの衝突に関するデータを集め、国際社会にその重要性を訴えています。
講演とメディアでの啓発活動
また、イアンはIUCN(国際自然保護連合)のアフリカゾウ専門家グループや違法密猟監視プログラムに参加し、研究データをもとに政策にアドバイスをしています。
彼の活動は、ヨーロッパやアメリカにも広がり、講演やメディアを通じてゾウ保護の重要性を世界中に発信しています。
空からゾウを守る:イアン・ダグラス=ハミルトンの挑戦
イアン・ダグラス・ハミルトン博士は、ゾウの保護活動において革新的な取り組みを行ってきました。彼が注力したのは、正確なデータの収集、特に空からゾウの生態や密猟の状況を把握することでした。
次は、この挑戦的な方法がどのようにゾウを守る力となったのか、そしてその結果、明らかになった「ゾウの大量虐殺(エレファントホロコースト)」について紹介します。
長女のサバ夫婦と3人の孫娘たちと(出典:legendsandlegaciesofafrica)
空からゾウを数える
飛行機で見る新たな視点
1970年代初頭、イアンは小型飛行機を使って低空飛行し、ゾウの家族や移動パターンを観察する方法を考案しました。
この方法により、大規模なゾウの個体数調査が可能となり、データはその後の保護政策に大いに貢献しました。
特に1976年から1979年にかけて、IUCN(国際自然保護連合)とWWF(世界自然保護基金)が共同で行った「ゾウ調査・保護プログラム」に参加し、アフリカ34か国でゾウの生息数を調査。その結果を基に、重要な保護政策が提言されました。
ゾウ虐殺の現実と象牙取引
密猟の深刻な現状
イアンの調査を通じて、1970年代から1980年代にかけて、ゾウが大量に命を落としている現実が浮き彫りになりました。
特に、日本やアジア諸国の象牙需要が高まる中、アフリカ全土で密猟が激化していったのです。
1980年、イアンがウガンダで活動していた時、ゾウの個体数はかつての約20,000頭からわずか1,600頭にまで減少。
その後、イアンは密猟防止のための航空パトロールと地上パトロールを組み合わせたシステムを導入し、多くのゾウを守ることに成功しました。
ゾウ保護への国際的な動き
ゾウのホロコーストと国際的対応
イアンの調査結果に基づき、アフリカ全体で1979年には推定1,300,000頭いたゾウが、1989年には600,000頭未満にまで減少していることが判明しました。この危機的状況は「ゾウのホロコースト」と呼ばれ、象牙取引規制を求める国際的な声を高めました。
その結果、CITES(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)を通じて象牙の国際取引が禁止され、ゾウの密猟は大幅に減少。その後、サバンナゾウの個体数は回復の兆しを見せ始めました。
ゾウの未来を守るために:「Save the Elephants」の挑戦
1993年、イアンは「Save the Elephants(ゾウを救おう)」という団体を設立しました。彼の20年以上の研究成果をもとに、この団体はゾウを守るための新たな取り組みを進めています。
ここでは、その活動内容と成果を紹介します。
Save the Elephants創設者・イアン・ダグラス・ハミルトン博士(出典:legendsandlegaciesofafrica)
サンブル国立保護区から始まった研究
イアンが設立した「Save the Elephants」は、ケニアのサンブル国立保護区に研究所を構え、ゾウの生態調査や保護活動を行っています。
この団体の目標は、「ゾウが生きられる未来をつくること」。そのためには、ゾウの生息地を守ること、そして人間とゾウが共存できる方法を見つけることが不可欠だとイアンは考えています。
ゾウの追跡:GPSでの革新的な研究
ゾウの動きをリアルタイムで追う
「Save the Elephants」の研究の中でも、特に注目されるのがGPSを使ったゾウの追跡です。
イアンと彼のチームは、ゾウにGPS付きの首輪をつけ、リアルタイムでその移動や行動を追いながら、保護活動に活用しています。この革新的な方法は、アフリカのゾウ保護活動に革命をもたらしました。
ゾウと人の共生を目指して
「Save the Elephants」のもう一つの重要なテーマは、人間とゾウが共生できる方法を模索することです。
イアンは、ゾウと農民が共に生活できる方法を研究し、「ヒューマン・エレファント・コエグジスタンス」プログラムを立ち上げました。
蜂の囲いでゾウと共存
例えば、アフリカの農家は、ゾウが農作物を食べないように「蜂の囲い」を作る方法を取り入れています。
これは、蜂の巣がゾウにとって不快であることを利用して、ゾウを農作物から遠ざけるというものです。このように、人間とゾウが共存できる方法を見つけるための試みが続けられています。
「象牙危機基金」で密猟対策にも注力
イアン・ダグラス・ハミルトン博士は、ゾウの密猟問題に対しても強い取り組みを見せています。
特に2013年に立ち上げた「象牙危機基金」では、ゾウの保護活動を支援し、密猟の撲滅を目指しています。この基金は、象牙取引を阻止し、世界中のNGOへの支援を行い、これまでに約3,400万ドル以上を集めました。
象牙密猟危機:イアン・ダグラス=ハミルトンの取り組み
イアンは、ゾウの保護活動を続ける中で、密猟問題に直面してきました。特に2000年代初頭に再燃した密猟の危機に、彼は大きな衝撃を受けました。
ここでは、ゾウの密猟問題とそれに対するイアンの取り組みを紹介します。
野生生物保全国際会議(2022年10月)でプレゼンするイアン博士(出典:Saba Douglas-Hamilton Face Book)
密猟の背景:象牙需要が引き起こした悲劇
象牙販売の再開が引き金に
2002年と2008年に一部の政府が行った「一度限りの象牙販売」が、象牙需要を再び高め、密猟の再拡大を招きました。
特に2010年から2012年にかけて、推定で10万頭以上のゾウが密猟の犠牲になったと言われています。
高騰する象牙の価格
象牙の価格が急騰し、主に中国やアジアの新興富裕層による需要が影響しました。象牙は富の象徴とされ、装飾品や投資目的での需要が急増したのです。
この需要を抑制しなければ、密猟の流れは止まらないとイアンは警告しています。
国際的なロビー活動とその影響
アメリカ上院での証言
2012年、イアンはアメリカ上院の外交委員会で証言し、象牙密猟がアフリカの不安定化を引き起こす問題であることを訴えました。彼は、密猟対策として以下のポイントを強調しました。
- 密猟対策への資金提供と法執行の強化
- 密輸や資金洗浄を取り締まる体制の構築
- 象牙製品への需要削減キャンペーン
政府の対応
「象牙密猟撲滅プログラム」を立ち上げたクリントン一家が主宰の「クリントン財団」(出典:cnn)
イアンの影響力を受け、アメリカ政府は2013年に「オバマ大統領令」を発令。クリントン財団も「象牙密猟撲滅プログラム」を立ち上げ、8,000万ドルの支援を表明しました。
中国での象牙需要削減
イアンは、中国での象牙需要削減にも尽力しました。2012年、彼は中国の人気スポーツ選手ヤオ・ミンをケニアに招き、象牙問題を伝えるキャンペーンを実施。
その結果、調査によると、中国国内で象牙製品の需要が減少していることが確認されました。
中国の象牙取引禁止
こうした活動の成果として、2017年末に中国は象牙取引を全面禁止することを決定し、2018年に施行されました。この政策により、密猟の抑制に希望の光が差し込んだのです。
イアン・ダグラス=ハミルトンの夢と未来への挑戦
イアンは次のように語っています。
「私の夢はゾウの未来を永遠に守ることです。しかし、それは簡単な挑戦ではありません。
私たち人間はまだ環境とのバランスを見つけられていない。自然を守り、人間が環境と調和することが必要です。」
彼の言葉は、単なるゾウ保護の話を超え、私たちが環境とどう向き合うべきかを考えさせられます。
イアン・ダグラス・ハミルトンの功績と受賞歴
アンはゾウ保護に対する卓越した貢献が認められ、多くの賞を受けています。以下はその一部です。
イアン博士、象の野生動物保護活動でCBE就任(2015年)(出典:The Royal Family X)
- 2010年:インディアナポリス・リリー賞(動物保護分野での世界的な賞)
- 2006年、2008年:インディアナポリス・リリー賞のファイナリスト
- 2014年:シカゴ動物学会のジョージ・B・ラッブ保護メダル
- 2015年:英国勲章コマンダー(CBE)に任命
- 2015年:サンディエゴ動物学会から生涯功績賞
また、イアンはCITES(絶滅危惧種国際取引条約)やIUCNアフリカ象専門家グループなど、さまざまな団体で活動しており、ゾウ保護活動において重要な役割を果たしています。
イアン・ダグラス=ハミルトンの著作と映画
イアンは、ゾウ保護に関する豊富な経験をもとに、いくつかの著作や映画にも携わっています。これらの作品は彼の研究成果やゾウとの絆を伝える貴重な資料です。
象牙取引きの全面禁止を勝ち取るまでの20年にわたる感動のヒューマン・ドキュメンタリー『象のための戦い』(出典:Amazon)
主な著作
・『象のための戦い』(1992年):ゾウ保護に関する彼の活動をまとめた本
・『象たちとの日々』(1975年):アフリカでのゾウとの生活と研究を描いた著作
映画
・1973年『ゾウと暮らす家族』
・1989年『象牙戦争』
・1998年『アフリカの象王国』
・2009年『秘密のゾウの生活』
まとめ
イアン・ダグラス=ハミルトン博士(Ian Douglas-Hamilton)
- 生年月日:1942年8月16日、イギリス生まれ。(2024年現在82歳)
- ダグラス・ハミルトンは、ケニアを拠点に活動する野生動物学者であり、特にアフリカゾウの研究と保護活動で広く知られています。
- イアン=ハミルトン博士はイアンデビッド・ダグラス=ハミルトン卿とアン・プルネラ・スタックの息子として生まれ、オックスフォード大学で動物学の博士号を取得しました。
主な業績と活動
- 「セーブ・ザ・エレファンツ(STE)」の設立(1993年)
イアン・ダグラス=ハミルトン博士は、1993年に「セーブ・ザ・エレファンツ」を設立し、ゾウの保護活動に捧げてきました。団体は、アフリカゾウの調査と保護を推進し、特にGPSテレメトリ技術を駆使してゾウの追跡調査を行っています。
- 著書と共著
イアンは妻オリア・ダグラス=ハミルトンとの共著で『Among the Elephants』や『Battle for the Elephants』などを発表。これらの著作は、ゾウの社会行動や保護活動に関する貴重な資料として評価されています。
- GPS追跡調査
イアン・ダグラス・ハミルトンは、GPSテレメトリ技術を利用したゾウの追跡調査の先駆者です。この技術により、ゾウの移動パターンや生息地の理解が進み、ゾウ保護活動に革新をもたらしました。
イアン・ダグラス=ハミルトン博士の家族
- 妻:オリア・ダグラス=ハミルトン(Oria Douglas-Hamilton)
- オリアは1930年代生まれで、ケニアのサンブル国立保護区で「エレファント・ウォッチ・キャンプ」を運営し、ゾウ保護活動に積極的に取り組んでいます。イアンと共に長年にわたる保護活動を続けています。
- 長女:サバ・ダグラス=ハミルトン(Saba Douglas-Hamilton)
- 1970年6月7日生まれのサバは、BBCの野生動物番組のプレゼンターとして活躍し、アフリカの自然やゾウに関する情報を多くの人々に届けています。
- 次女:ドゥドゥ・ダグラス=ハミルトン(Dudu Douglas-Hamilton)
- 1971年1月1日生まれのドゥドゥは、映画制作者として自然環境や野生動物をテーマにしたドキュメンタリー制作に携わり、保護活動の重要性を広めています。
11月30日(土)19:00に放送されるNHK特集番組「ゾウと共に生きる」では、イアン・ダグラス=ハミルトン博士のこれまでの業績や家族の絆、そしてアフリカゾウ保護活動への取り組みが紹介されます。
このブログでは、イアン・ダグラス・ハミルトン博士の経歴や家族について、より理解しやすくお伝えしました。
当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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