Netflix配信ドラマ「極悪女王」が大ヒットしていますね!
特に最終エピソードの「ダンプ松本と長与千種・敗者髪切りデスマッチ」は衝撃的で、その壮絶さにショックを受けた方も多いのではないでしょうか。
しかし、この「ダンプ松本vs長与千種の敗者髪切りデスマッチ」の前に、日本で初めての髪切りデスマッチが行われていたことはあまり知られていないかもしれません。
【2回目・髪切りデスマッチ】長与千種に敗れて、今度はダンプ松本が丸坊主に!
「ダンプ松本vs長与千種の敗者髪切りデスマッチ」よりも前にあった、日本の女子プロレス史上初・髪切りマッチ。
一体、誰と誰の対戦だったのか、そして負けて坊主になったのは誰だったのか、さらにその試合の意義についても詳しくご紹介します。
日本初の髪切りデスマッチは?
日本の女子プロレス史上初の髪切りマッチが行われたのは1983年5月7日、川崎市体育館での「WWWA世界シングル選手権&マスカラ・コントラ・カベジェラマッチ」です。
この試合は、ジャガー横田対ラ・ギャラクティカの対戦でした。
ビューティ・ペア解散後、全日本女子プロレスを牽引し続けたジャガー横田(出典:東スポWEB)
ジャガー横田のプロフィール
WWWA世界シングル王座ジャガー横田(出典:東スポWEB)
リングネーム | ジャガー横田 |
本名 | 木下 利美(きのした りみ) |
生年月日 | 1961年7月25日(63歳) |
出身地 | 東京都荒川区 |
身長 | 160cm |
体重 | 58kg |
デビュー | 1977年6月 |
得意技 | ジャガースープレックス、ジャガーバックドロップホールド、ジャガークラッチなど |
ジャガー横田さんは、1986年2月日にデビル雅美との引退試合を行い、一度引退しましたが、その後も何度か復帰し、現在も現役で活動しています。
ジャガーさんは「生涯現役」を誓い、プロレス界で長く活躍し続けています。
ちなみに、ダンプ松本さんは1960年11月11日生まれ。2024年に64歳になるね
一方、長与千種さんは1964年12月8日生まれ。2024年に還暦を迎えるのね!
ジャガー横田さんの得意技には彼女の名前が含まれており、これらの技が彼女のオリジナルであることを示しています。彼女がいかに強く、偉大なプロレスラーであるかが伺えます。
ラ・ギャラクティカ(出典:ebay)
ラ・ギャラクティカのプロフィール
リングネーム | ラ・ギャラクティカ、パンテラ・スレーニャ |
本名 | リディア・ホルテンシア・ランヘル・アバロス |
生年月日 | 1952年12月29日(71歳) |
出身地 | メキシコ、ハリスコ州グアダラハラ |
身長 | 155cm |
体重 | 60kg(当時) |
デビュー | 1969年6月 |
初来日 | 1977年5月 |
得意技 | 空中殺法、ダイビングセントーンなど |
ラ・ギャラクティカは155センチ、60キロと、体格はそんなに大きくないんだね
ジャガー横田vsラ・ギャラクティカ「敗者髪切りデスマッチ」の詳細
この試合は1983年5月7日、神奈川県川崎市体育館で行われ、ジャガー横田がWWWA世界シングル王座を懸けてメキシコのラ・ギャラクティカと対戦しました。
試合は、日本女子プロレス史上初の髪切りマッチ(マスカラ・コントラ・カベジェラマッチ)として知られています。
左:ジャガー横田
右:ラ・ギャラクティカ(出典:東スポWEB)
「マスカラ・コントラ・カベジェラ」はスペイン語です。
マスカラ=マスク、コントラ=対抗、カベジェラ=髪の毛、マッチ=試合
つまり、「マスク対髪の毛」の試合形式のことです。
この1983年5月7日でいうと、『覆面レスラー(ラ・ギャラクティカ)がマスクを賭け、素顔のレスラー(ジャガー横田)が髪の毛を賭けて戦う試合』という意味になります。
試合の背景
この試合は、1979年2月27日ビューティー・ペア(ジャッキー佐藤とマキ上田)の解散後、全日本女子プロレスが新たな人気を獲得するために行われた重要なイベントでした。
ビューティー・ペアの解散でファンが減少していたため、全女は新たなスターを生み出す必要があったのね
ビューティー・ペア(出典:tower)
試合の概要
- 日付: 1983年5月7日
- 場所: 神奈川県川崎市体育館
- 対戦カード: ジャガー横田 vs ラ・ギャラクティカ
- タイトル: WWWA世界シングル王座
- 試合形式: 髪切りマッチ(マスカラ・コントラ・カベジェラマッチ)
試合の展開と結果
試合は非常に激しく、両選手とも全力を尽くしました。ラ・ギャラクティカは、メキシコのルチャリブレスタイルを駆使してジャガー横田に対抗し、試合の終盤ではギャラクティカのセコンドが乱入する場面もありました。
ギャラクティカに敗れ、髪を切られるジャガー横田(出典:東スポWEB)
最終的にラ・ギャラクティカがダイビングセントーンでジャガー横田を倒し、王座を奪取。ジャガー横田は敗北し、ファンが涙する中で丸坊主にされました。
モンスター・リッパーです。リッパーの乱入により、試合は混乱しました。
リッパーはヒール(悪役)レスラーとしての役割を果たし、試合を混乱させることで観客の注目を大いに集めました。2001年7月27日、40歳の若さでで亡くなりました。
乱入し、ジャガー横田にダイビング技をかけるモンスター・リッパー(出典:YouTube)
モンスター・リッパーが対戦した主な全女レスラー
- ジャッキー佐藤
- マキ上田
- デビル雅美
- ジャガー横田
- ジャンボ堀
- アジャコング
左:ライオネル飛鳥
右:モンスター・リッパー(出典:東スポWEB)
モンスター・リッパーは全女で多くのレスラーと対戦したんだね!
ギャラクティカの反則勝ちについて
ギャラクティカのセコンドが乱入したため、通常であれば反則負けになる可能性がありましたが、この試合では特に反則とはされず、ギャラクティカの勝利が認められました。
この結果には、次のリターンマッチの伏線があったのではないかとの意見もあります。
ジャガー横田vsラ・ギャラクティカ試合が与えた影響
1983年5月7日のこの試合は、日本女子プロレス界に大きな影響を与えました。
髪の毛が長いジャガー横田さんも素敵ですが、坊主のジャガーさんもかっこいいです(出典:aucfan)
- 女子プロレスの人気復活
ビューティ・ペアの解散後、低迷していた全日本女子プロレスの人気を再び高めるきっかけとなりました。
ジャガー横田が敗北し、髪を切られるシーンは多くのファンに衝撃を与え、新たなファン層の獲得に成功しました。
- 髪切りマッチの定着
この試合の成功により、髪切りマッチは女子プロレスの定番イベントとなりました
1985年には長与千種とダンプ松本の髪切りマッチが行われ、社会現象になるほどの影響力を持ちました。
- メディア露出の増加
髪切りマッチのインパクトにより、女子プロレスはメディアの注目を集めるようになりました。テレビ中継や雑誌での特集が増え、プロレスラーたちの知名度向上しました。
ジャガー横田さんの偉大さと全女への貢献に、心から尊敬しちゃうわ
坊主頭のジャガー横田さん、強いです(出典:aucfan)
翌月のリターンマッチ
この試合の後、リターンマッチが1983年6月1日に埼玉・大宮スケートセンターで行われました。
ジャガー横田さんはギャラクティカをジャーマンスープレックスで倒し、王座を奪還。その際、ルールを無視してギャラクティカのマスクを剥ぐシーンも見られました。
ルールを無視してギャラクティカのマスクを剥ぐなんて、髪切りマッチで負けたことが相当悔しかったんだね
覆面を外したラ・ギャラクティカ(パンテラ・スレーニャ)さん(出典:prowrestling.fandom.)
このリターンマッチは、ジャガー横田さんにとって完全なリベンジだったんだね
まとめ
日本初の髪切りデスマッチは、1983年5月7日に神奈川県川崎市体育館で行われた「WWWA世界シングル選手権&マスカラ・コントラ・カベジェラマッチ」です。
この試合でジャガー横田がラ・ギャラクティカと対戦し、髪切りマッチの先駆けとなりました。結果的にジャガー横田は敗北し、髪を切られることになりました。
この試合の成功により、髪切りマッチは女子プロレスの定番イベントとして定着しました。2年後の1985年には長与千種とダンプ松本の髪切りマッチが行われ、社会現象となるほどの影響力を持つことになりました。
さらに、ジャガー横田はその1か月後の1983年6月1日に大宮スケートセンターで行われたリターンマッチ「WWWA世界シングル選手権」でラ・ギャラクティカに勝利し、王座を奪還しました。
1983年6月1日のリターンマッチで再び、ジャガー横田とラ・ギャラクティカが対戦。この後、ジャガー横田さんが見事王座に返り咲きます。(出典:ebay)
今回は、Netflix「極悪女王」大ヒットにちなみ、日本初の髪切りデスマッチ「WWWA世界シングル選手権&マスカラ・コントラ・カベジェラマッチ」について深堀しました。
「極悪女王」のご視聴と併せてお楽しみいただけたら幸いです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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