8月27日(火)21:00放送の「ザ!世界仰天ニュース」では、「一人の女性が日本を変えた。絶望から大逆転!初のセクハラ裁判の真実」と題し、晴野まゆみさんの日本初のセクシュアル・ハラスメント裁判が取り上げられます。
多くの人が敗北を予想した中、見事に全面勝利を収めたこの裁判の詳細とは?
晴野まゆみさんを支えた弁護士は誰だったのか?
そして、どのような戦略で勝利を手にしたのか?
今回は、その詳細を深堀していきます。
また、世界的に注目を集めたセクハラ事件についても併せてご紹介します。
晴野まゆみさんが受けたセクハラとは?
晴野まゆみさんは、1980年代末に出版社で働いていた際、上司である編集長(当時37歳)から深刻なセクシュアル・ハラスメントを受けました。
最初は軽い冗談として始まった異性関係に関する噂や誹謗中傷は、次第にエスカレートし、職場での立場や評価に深刻な影響を与えました。
(https://www.facebook.com/watch?v=1992288384421280)
冗談がエスカレートした職場でのセクハラ
当初、晴野まゆみさんは編集長からの異性関係に関する冗談を軽く受け流していました。無反応であれば噂も自然と消えるだろうと考えていたからです。ところがまゆみさんが反応しないことで、逆に編集長による噂はますますエスカレートしていきました。
不公平な労働環境と給与の格差
晴野さんの上司だった編集長は頻繁に遅刻し、また定時になるとすぐに帰宅していました。その結果、晴野さんは彼の仕事を肩代わりすることが多くなりました。ところが、彼女の給与は彼の3分の1に過ぎませんでした。
晴野さんが上層部にこの不公平を申し出た結果、給与が少し上がった時も、また新たな噂が広まり、さらに評価を下げられる結果となりました。
会社の無視と即日解雇という結末
晴野さんは会社のトップに救済を求めましたが、セクハラ問題は軽視され、最終的には即日解雇されてしまいます。彼女の仕事は評価されながらも、性差別に基づく不公平な扱いが問題視されることはありませんでした。
解雇されるときに会社のトップから「男を立てることを覚えろ」と言われたことが今でも忘れられない。2018年の晴野まゆみさん。(出典: https://www.facebook.com/watch?v=1992288384421280)
晴野さんは経済的にも厳しい状況に追い込まれ、預金残高がわずか2000円になるまで追い詰められました。なんとか生活を維持するため、かつての仕事関係者に頼み込み、フリーライターとして生計を立てることを余儀なくされました。
法的手段への決意
退職から半年後、晴野さんは31歳の時に、「なぜ自分が辞めさせられたのか」納得できず、法的手段に訴える決意を固めました。費用を抑えるため、民事調停を申し出て、簡易裁判所で編集長と直接話し合い、謝罪を得るつもりでした。
しかし、「セクハラ」という言葉自体がまだ広まっていない時代背景の中、調停委員の理解を得られず、調停は失敗に終わりました。さらに、「名誉毀損」を訴える民事裁判も、物的証拠が乏しく、弁護士からは勝ち目がないと言われました。
転機の到来と法廷戦術
諦めかけていた時、晴野さんは地元新聞で「女性専門の法律事務所」の設立を知りました。最後のチャンスと思い、その事務所を訪れる決意をしました。そこで、晴野さんは驚きの法廷戦術を提案されます。
次のセクションでは、この法廷戦術を提案した弁護士と、その後の裁判の詳細についてご紹介します。晴野まゆみさんのセクハラ裁判での全面勝利が、どのようにして実現されたのかを詳しく見ていきましょう。
晴野まゆみさんの弁護士は?
晴野さんが相談を持ちかけたのは「女性協同法律事務所」で、辻本育子弁護士と原田直子弁護士が設立した事務所です。彼女たちが晴野さんの依頼を引き受けました。
辻本育子弁護士と原田直子弁護士のプロフィール
辻本育子弁護士
- 出身地: 熊本県
- 学歴: 九州大学法学部卒業
- 弁護士登録: 1977年
- 主な活動: 女性の権利、DV、セクシュアル・ハラスメント問題
- 設立: 1989年に原田直子弁護士と共に「女性協同法律事務所」を設立
原田直子弁護士
- 出身地: 福岡県
- 学歴: 九州大学法学部卒業
- 弁護士登録: 1982年
- 主な活動: 離婚、性的暴行被害、セクシュアル・ハラスメント、職業病(じん肺)訴訟
- 設立: 1989年に辻本育子弁護士と共に「女性協同法律事務所」を設立
辻本弁護士と原田弁護士が勝利した理由とは?
日本初のセクシュアル・ハラスメント裁判において、辻本育子弁護士と原田直子弁護士は、どのようにして難しい訴訟に勝利を収めたのでしょうか。
全面勝訴の判決を伝える新聞記事https://www.jinken.ne.jp/gender/haruno/haruno3.html
性差別の本質を見抜いた辻本弁護士
辻本育子弁護士は、晴野まゆみさんの問題の本質が「性差別」にあると鋭く見抜きました。
当時、日本の職場では、女性は「有能であっても縁の下の力持ち」として位置付けられ、男性上司を立てて働くことが求められていました。晴野さんは、この暗黙のルールに反し、上司の不正を批判したことで排除されました。この状況は性差別そのものであり、辻本弁護士はこの本質を的確に指摘しました。
性差別を問い直す裁判への転換
当時、セクシュアル・ハラスメントという概念は存在していなかったため、個人的なトラブルとしての名誉毀損訴訟は勝利の見込みが薄いと考えられていました。つまり、従来の枠組みでは、勝利の見込みが極めて低いと判断したのです。
そのため、辻本弁護士は、ただの名誉毀損訴訟ではなく、この問題を「性差別」として提起し、編集長だけでなく会社全体を相手に訴えることを提案しました。
このアプローチは、個別の問題解決を超えて、職場における女性の働き方全般を問い直すものでした。
女性弁護士による支援体制の構築
辻本弁護士と原田直子弁護士は、法廷での成功のためには、女性弁護士の力を結集する必要があると考えました。
そこで、福岡県弁護士会に所属する女性弁護士全員で弁護団を組むことを決定し、参加を呼びかけました。この広範な支援体制の構築は、訴訟を有利に進めるための大きな力となり、多くの女性の共感と支持を集める結果となりました。
賛同する多くの支援者(https://www.yomiuri.co.jp/national/20240309-OYT1T50194/2/)
セクハラの概念を法廷に持ち込む
また、辻本弁護士と原田弁護士は、アメリカの女性労働者向けのパンフレットから「セクシュアル・ハラスメント」という概念を導入しました。
当時の日本では「セクシュアル・ハラスメント」という言葉がまだありませんでした。そこで、新しいこの概念を性差別として訴えることが必要だと判断し、法廷に持ち込みました。この先見の明が、訴訟の成功に大きく寄与しました。
歴史的な勝利とその後の影響
晴野まゆみさんの勇気と、辻本育子弁護士や原田直子弁護士の粘り強い取り組みは、日本におけるセクシュアル・ハラスメント問題への対応に革命的な変革をもたらしました。
福岡セクシュアル・ハラスメント訴訟の勝訴は、職場での性差別に対する法的な対策が強化されるきっかけとなり、多くの人々に声を上げる勇気を与えました。
以下では、この歴史的勝利がもたらした影響について詳しく見ていきます。
法改正のきっかけに
晴野さんの訴訟は、日本における法改正の重要な一歩となりました。
1989年の勝訴以降、1999年には「男女雇用機会均等法」が改正され、企業にはセクハラ防止の義務が課せられるようになりました。この事件が引き金となり、法的な対応が整備されることで、職場でのセクハラが徐々に減少するきっかけとなりました。
セクハラ問題への認識の向上
福岡セクシュアル・ハラスメント訴訟は、日本で初めてセクハラが法的に認められた画期的なケースです。この裁判を通じて、「セクハラ」という言葉が広まり、社会全体の認識が大きく変わりました。
今では当たり前のように使われている「セクハラ」という言葉も、この裁判がなければ存在しなかったかもしれません。この認識の変化が、セクハラ問題への対応を進める礎となったのです。
メディアが社会に広めた影響
この裁判はメディアでも大きく取り上げられ、セクハラ問題に対する社会的な理解を深める重要な役割を果たしました。メディア報道により、セクハラが決して個人の問題ではなく、社会全体の問題であるとの認識が広まりました。
この報道が多くの人々に声を上げる勇気を与え、セクハラ問題が社会全体で取り組むべき課題であるとの意識を広げることに繋がったのです。
晴野まゆみさんの訴訟が、セクハラ問題に対する法的な対応を変えたなんて驚きです!
この裁判がメディアで取り上げられたことで、セクハラ問題が社会全体での課題として認識されるようになったのは大きな進展よね
他の有名なセクハラ事件とその影響
世界中で注目を集めたセクハラ事件には、どのようなものがあるのでしょうか。ここでは、その一例をご紹介します。
ハーヴェイ・ワインスタイン事件
事件の概要
ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ事件は、2017年に多くの女性からの告発が報じられ、世界中で大きな注目を集めました。アンジェリーナ・ジョリー、グウィネス・パルトロー、ローズ・マッゴーワンなどの著名な女性たちが、ワインスタインからのセクハラや性的暴行の被害を訴えました。
結末
ワインスタインは2018年に逮捕され、2020年にはニューヨークでの裁判で有罪判決を受けました。彼には23年の禁錮刑が言い渡され、「MeToo」運動に波及しました。ワインスタイン事件の公表を契機に、多くの女性が自身のセクハラや性的暴行の経験を共有するようになり、#metoo運動が世界中で広がりました。
ケビン・スペイシー事件
事件の概要
俳優のケビン・スペイシーも、複数の男性からセクハラの告発を受けました。これにより、スペイシーは多くの映画やテレビ番組から降板される事態となりました。セクハラ告発は彼のキャリアに深刻な影響を与えました。
結末
2023年7月、イギリスの裁判所でスペイシーは無罪判決を受けました。彼はすべての罪状について無罪を主張し、最終的に無罪が確定しました。
まとめ
晴野まゆみさん(出典:https://storyweb.jp/lifestyle/91623/)
セクハラ裁判の概要
裁判の背景
- 1980年代末、晴野まゆみさんは出版社でセクシュアル・ハラスメントを受け、職場での立場が悪化し、最終的には即日解雇された。
- 解雇の理由がセクハラに関連していると考え、法的手段を講じる決意を固めた。
裁判の結果
- 晴野さんは全面勝利を収め、裁判所はセクハラの存在を認め、晴野さんの主張を支持した。
- 1992年の福岡地裁の判決で晴野さんの全面勝訴が認められ、元上司と会社に対して約165万円の損害賠償が命じられた
晴野まゆみさんを支えた弁護士は誰?
- 辻本育子弁護士
セクハラ問題の本質が「性差別」にあると見抜き、個別の名誉毀損訴訟からセクハラ全般に関わる訴訟へ戦略を転換。
- 原田直子弁護士
辻辻本弁護士とともに、女性弁護士たちの支援を呼びかけ、広範な弁護団を結成。
法律的戦術と社会的サポートを活用し、裁判の成功に導いた。
勝利をもたらした戦略とは?
- 性差別の本質を訴えた戦略
個別のセクハラ問題ではなく、職場での性差別を主な争点として裁判を進め、広範な社会的・法的な変革を促すことを目指した。
- 女性弁護士による支援体制の構築
福岡県弁護士会に所属する女性弁護士全員で弁護団を組織し、広範な支援体制を構築。訴訟を有利に進める重要な要素となった。
- セクハラ概念の導入
日本で一般的でなかった「セクシュアル・ハラスメント」という概念を法廷に持ち込み、問題を広く社会に訴えることが裁判の成功を大いに後押しした。
今回は、晴野まゆみさんの初のセクハラ裁判について詳しく掘り下げてご紹介しました。
8月27日(火)21:00放送の「ザ!世界仰天ニュース」の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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