【オーストリア少女監禁事件】ナターシャカンプッシュは現在地下室を購入!犯人の動機と現場画像も!

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10月23日(水)20:54に放送される『ワールド極限ミステリー』では、衝撃の実話「10歳少女が監禁3096日、奇跡の脱出」と題したオーストリアのナターシャ・カンプッシュ誘拐監禁事件が取り上げられます。

この放送では、「頭脳明晰な少女が誘拐犯に服従しながらも脱出の機会を伺い、3096日目に奇跡の脱出を果たした」と紹介されます。

当時10歳のナターシャが誘拐されたのは、犯人の自宅に作られた秘密の地下室。彼女を3096日間も監禁した犯人、ウォルフガング・プリクロピルとはどのような人物だったのでしょうか?

左上:ナターシャさん(誘拐された当時)
右:犯人のウォルフガング・プリクロピル(出典:quora)

この記事では、プリクロピルの誘拐・監禁の具体的な手口や彼の生い立ちを深掘りし、事件の真相に迫ります。

さらに、驚くべきことに、ナターシャ・カンプッシュがかつて監禁されていた場所である犯人の自宅を購入したというニュースについてもお伝えします。

ナターシャ・カンプッシュ誘拐監禁事件の概要

ナターシャ・カンプッシュ誘拐監禁事件(オーストリア少女誘拐監禁事件)は、1998年3月に発生した事件です。当時10歳のナターシャ・カンプシュは、オーストリアの首都ウィーンにある学校へ向かう途中、通信技術者のウォルフガング・プリクロピルに誘拐されました。

ナターシャ・カンプシュさん。現在36歳になっています(2024年10月現在)(出典:wikipedia)

事件の前日、ナターシャは母親と口げんかをし、そのままの状態で学校に出かけました。彼女は、その朝、母親とは口を利かずに家を出たといいます。

そして、プリクロピルは登校途中のナターシャを車に押し込み、以降の8年半にわたり、自宅の地下室で監禁し、想像を絶する虐待を加えました。

監禁された地下室

誘拐犯・プリクロピルは、ナターシャを自宅のガレージの下に掘った6平方メートルほどの地下室に閉じ込めました。この密室は外部から完全に遮断されており、ナターシャは外界との接触を一切絶たれていました。

ナターシャが監禁されていたプリクロピルの自宅(出典:bbc news)

彼は幼いナターシャに対して「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝え、恐怖心を植え付けることで、彼女を従わせようとしました。

絶え間ない飢餓の恐怖

容疑者・プリクロピルはナターシャに十分な食料を与えず、彼女は飢餓状態に陥ることがしばしばありました。彼女にはごく少量の食べ物しか与えられず、何日も食事を与えられない日が続くこともありました。

元通信技術者である容疑者・プリクロピルの自宅は監視装置で守られ、「地下牢」へと続く階段が慎重に隠されていたといいます(出典:bbc news)

日常的な暴力と性的虐待

誘拐犯・プリクロピルは、ナターシャに対して日常的に暴力を振るいました。殴る、蹴る、髪を引っ張るなどの物理的な暴行だけでなく、精神的な虐待も加えました。

ナターシャが思春期を迎えると、プリクロピルは彼女に対して性的虐待を行うようになりました。

その後、ナターシャ・カンプッシュさんは、当時の様子を振り返り、

「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」

と述べています。

精神的な苦痛

犯人・プリクロピルはナターシャに対して、「両親はあなたを捨てた」「警察は信用できない」といった言葉を用いて、ナターシャに自己否定感を植え付けました。

このような手法により、彼女は孤立感を深め、プリクロピルに対する依存を強めることになりました。

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プリクロピルが犯行に及んだ背景と生い立ち

ヴォルフガング・プリクロピルが、なぜナターシャ・カンプッシュさんを誘拐し、3096日もの間監禁したのか、その動機は完全には解明されていません。

しかし、彼はナターシャを誘拐し、自分が思い描く理想の夫婦生活を実現できると信じていたとされています。

孤独な生い立ちと母親への依存

通信技術者であったプリクロピルは、母親と祖母のもとで育てられました。彼は一度も結婚することなく、孤独な生活を送り続けていました。

人間関係を築くことが極めて苦手で、周囲から孤立していた彼の背景には、母親への過度な依存や、愛情への強い飢えがあったと考えられます。

プリクロピルの自宅には仕掛け扉と「地下牢」へ続く階段が(出典:bbc news)

彼の精神的な孤立は、社会との繋がりがうまくいかず、自分の感情や欲望を健全な形で表現できなかったことから、次第に歪んでいったのかもしれません。

理想の世界への執着

誘拐犯・プリクロピルは、現実世界の問題や自身の孤独感を埋めるために、自分だけの完璧な世界を作り上げたいという願望を強く持っていました。

ナターシャを誘拐して監禁したのも、彼女を自分の理想に合わせて育てるためでした。彼の行動は、彼が夢見た理想の世界を実現するための試みであり、ナターシャはその世界の中で彼に完全に服従する存在として扱われました。

プリクロピルとマザーコンプレックス

ウォルフガング・プリクロピルの異常な行動や心理背景を考察する際、彼が抱えていた可能性のある「マザーコンプレックス」は重要な要素として浮かび上がります。

マザーコンプレックスとは

マザーコンプレックスとは、母親との関係が人間の成長や対人関係に与える影響のことです。特に、過度な依存や母親の期待に応えたいという欲求が、成人してからも対人関係や社会的な適応に悪影響を与えることがあります。この影響は、親密な関係を築くことや自立した生活を営む際に、問題として現れることが多いです。

プリクロピルの背景

プリクロピルは、父親不在で、母親と祖母に育てられたという背景があり、彼の孤独感や社会との不適応は、母親への度を超えた強い依存から生じていた可能性が指摘されています。

彼は、母親に対する愛情への飢えが非常に強く、それが彼の人間関係の基盤となっていたと考えられています。

隠し階段を降りた先にあるナターシャを監禁していた6平方メートル(4畳程度)の地下室。防音が施され窓はない(出典:bbc news)

現実の社会ではうまく対人関係を築けなかった彼は、理想的な人間関係を夢見ながらも、現実の人間関係では苦しみ続けていました。

そのため、彼はナターシャを誘拐し、理想のパートナーとして育てることで、自己の満足を得ようとしたのかもしれません。

犯行に至る心理的な要因

容疑者・プリクロピルの行動の根底には、母親への依存からくる対人関係の不全と、理想的な世界を作り上げたいという強い願望があったと考えられます。

彼は、外部の世界でうまく適応できないことから、ナターシャを閉じ込めることで、自分だけの支配された世界を築こうとしたと推測されます。

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犯人の死に「やりきれない思いで泣いた」

ナターシャ・カンプッシュは、ヴォルフガング・プリクロピルが自殺したというニュースを聞いた際、やりきれない思いで泣いた。

これは多くの人々に驚きを与え、ナターシャが「ストックホルム症候群」に陥っていた可能性があるという議論を巻き起こしました。

ナターシャが監禁されていた地下室の内部。彼女のベッドは一段高くなった台の上に(出典:bbc news)

誘拐犯と一緒に過ごす時間が長くなると、被害者が加害者に対して情感を抱く現象が生じることが知られていますが、果たして彼女の場合もそうだったのでしょうか。

ストックホルム症候群の影響か?

ナターシャが涙を流した背景には、「ストックホルム症候群」が影響している可能性が考えられます。

この症候群は、誘拐や監禁などの極限状態において、被害者が加害者に対して同情や愛情を抱く心理現象を指します。1973年にスウェーデンの銀行強盗事件で初めて注目され、名前が広まりました。

ナターシャがプリクロピルに完全な憎悪を抱かなかった理由は、この症候群に起因するのかもしれません。

ストックホルム症候群とは

ストックホルム症候群は、被害者が加害者に対して情感を抱くことを指し、生存を図るための心理的な適応反応とされています。

誘拐や監禁の被害者が加害者に同情したり、助けようとしたりする行動は、命の危機に直面する中で生き延びるための戦略とされます。

本や衣服で散らかっているナターシャの監禁部屋。ベッドに上がるためのはしごは服を掛ける場所とし利用されていた(出典:bbc news)

ナターシャも8年間にわたる監禁生活の中で、誘拐犯のプリクロピルから暴力を受け続けながらも、彼に対して全く憎むことができなかったとされています。

そのため、彼女の涙は、このストックホルム症候群の影響があったのではないかと推測されました。

ナターシャの反論

しかし、ナターシャ自身はこの見方に反対しています。2010年のイギリスの新聞『ガーディアン』のインタビューで、彼女は「ストックホルム症候群」として病名をつけられることに強く異議を唱えました。彼女は次のように述べています。

「被害者にストックホルム症候群という病名を付けることには反対します。これは病気ではなく、特殊な状況における合理的な判断に基づくものです。

自分を誘拐した犯人に共感を示し、コミュニケーションを図るのは、生き残るための当然の戦略です。」

ナターシャは、この現象を病的なものではなく、生存のための冷静な適応として捉えており、彼女の感情は極限状況下での自然な反応だと主張しました。

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ナターシャにとっての犯人とは

ナターシャは事件後、自伝の中で次のように語っています。

「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、誰かに抱きしめてもらうことだった」

この言葉からは、8年半もの間、監禁されながらも彼に対して完全な憎しみを抱くことができなかったという、彼女の複雑な心境が浮かび上がります。

虐待者でありながら

プリクロピルは、ナターシャにとって虐待者でありながら、長期間にわたって彼女の唯一の接触相手でもありました。

ナターシャの監禁部屋にあるテレビと机。しかし彼女は公にされた捜索に気づかれないように、録画された番組しか見せてもらえませんでした。プリクロピルはナターシャに、読み書きと算数も教えられたと言われています(出典:bbc news)

複雑な感情とマザーコンプレックス

ナターシャは事件後、自伝の中で、マザーコンプレックスを抱えていたプリクロピルへの複雑な感情についても触れています。

ナターシャは

「10歳の時からずっと、私の世界にはたった2人だけだった。今まで私が住んでいた世界が崩れ落ちた」

と語っており、犯人プリクロピルの死は自由の象徴である一方、彼女の狭い世界の終焉も意味していました。

自由と喪失

さらにナターシャは

「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。それと同時にいや応なく、近くにいた人を失った」

と自伝に綴っています。

ナターシャと監禁場所の現在

ナターシャ・カンプッシュは、現在、自分がかつて監禁されていた家を所有しています。

女が犯人・ヴォルフガング・プリクロピルの自宅を購入した理由は、家が荒らされたり取り壊されたりするのを防ぐためだと報じられています。

定期的な訪問と掃除

脱出から3年が経過した頃、ナターシャはこの家を定期的に訪れ、掃除を行っていることが明らかになりました。2010年1月には「この家が私の成長過程の重要な一部を占めていたため購入した」と語っています。

地下室の埋め戻し

さらにナターシャは、「もしこの家が他の誰かに売られることがあれば、地下室を埋め戻す」と述べ、この家が彼女の失われた青春の不気味な博物館として見世物になることは絶対に許さないと強調しました。

実際に、2011年には彼女の意思で地下室は埋め戻され、ナターシャは現在もこの家を所有し続けています。

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まとめ

ナターシャ・カンプッシュ誘拐監禁事件は、3096日間にわたる恐怖の中で、少女がどのように生き延びたかを示す衝撃的な事件でした。犯人であるウォルフガング・プリクロピルは、8年半にわたりナターシャを自宅の地下室に監禁しました。

彼の異常な行動は、非常に強い孤独感や母親への尋常ではない依存が原因であると考えられています。容疑者のプリクロピルは、自分だけの完璧な世界を作り上げたいという執着からナターシャを誘拐し、彼女を思い通りに育てようとしました。

外部との接触を避け、自己満足に浸る閉鎖的な世界を維持することで、異常な支配欲を満たしていたと考えられています。

ナターシャは、虐待者でありながら唯一の接触相手であったプリクロピルとの複雑な関係に適応せざるを得ませんでした彼の死は、彼女に自由をもたらす一方で、監禁生活の中で完全に憎しむことができなかったという複雑な心境を浮き彫りにします。

驚くべきことに、ターシャは、現在自分が監禁されていた、犯人・プリクロピルの家を所有しています。彼女がこの家を購入した理由は、地下室が過去のトラウマや辛い思い出を象徴しているため、他の人がその場所に住むことや観光地として利用されることを防ぎたいという強い意思の表れです。

今回、10月23日(水)20:54から放送される『ワールド極限ミステリー』「10歳少女が監禁3096日奇跡の脱出」というテーマで、ナターシャ・カンプッシュ誘拐監禁事件を取り上げました。

特に、当時10歳だったナターシャを誘拐し、3096日もの間監禁し続けたヴォルフガング・プリクロピルがどのような人物だったのか、彼が行った誘拐や監禁の具体的な内容、そして彼の生い立ち、そして犯人の自宅の意外な現在についてお伝えしました。

当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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