ダンプ松本の引退理由とは?引退試合で長与千種とタッグを!【極悪女王】

極悪女王

Netflix配信中の話題作「極悪女王」が話題沸騰中です。この作品を見たことで、女子プロレスの魅力に引き込まれた人もいらっしゃるのではないでしょうか。

特に劇中で描かれているダンプ松本さんの引退試合、そしてその最後に行われた長与千種さんとの急遽タッグを組んだ5分間のエキシビションマッチは、感動的な場面として心に残った方もいるかもしれません。

今回は、ダンプ松本さんの引退試合に焦点を当て、その引退理由についても詳しくお伝えしていきます。

ダンプ松本の略歴・プロフィール

まず、ダンプ松本さんの略歴を簡単に整理しました。

彼女の経歴を知ることで、Netflixドラマ「極悪女王」を見る際にも、時系列や背景がすぐに理解でき、より楽しめると思います。

入門当時のダンプ松本さん。あどけなさが残る少女という印象ですね(出典:週刊女性PRIME)

名前ダンプ松本
本名松本香
生年月日1960年11月11日
年齢63歳(2024年10月現在)
入門(オーディション合格)1979年4月1日
プロテスト合格1980年4月(4度目で合格
デビュー戦1980年8月8日(田園コロシアム・新国純子戦)
デビル軍団に加入1982年
ヒール軍団・極悪同盟を結成1984年(「ダンプ松本」誕生)
引退試合1988年2月25日(川崎大会で長与千種やライオネス飛鳥と対戦
現役復帰2003年

1984年極悪同盟を結成。松本香からダンプ松本に改名。
右:クレーン・ユウ
(出典:NEWSポストセブン)

ダンプ松本の引退理由とは?

引退理由

ダンプ松本さんの引退には、いくつかの複雑な背景がありました。1987年の冬頃から、全日本女子プロレスの環境に嫌気が差し、積もり積もった不満や人間関係のもつれに悩んでいたのです。特に、松永高司さん(全日本女子プロレス会長=故人)以外の会社の人間に対しては我慢ができなくなり、「もうこんな場所にはいられない」と感じるようになっていました。

プロレスへの未練はあり、レスラー仲間とも別れたくなかったものの、全日本女子プロレスの待遇改善が一向に進まず、「辞めたい」という気持ちが強くなっていきました。

さらに、ヒール役としての活動が自身や家族に危険を及ぼす可能性があることも、引退を考える要因の一つでした。

その一方で、彼女は芸能事務所に移籍する話も進んでおり、プロレスを離れる決意を固めていたのです。

引退発表

1988年1月4日、後楽園ホールでの試合後にダンプ松本さんは、なんと会社に無断で引退を発表しました。記者の前で突然「引退します」と宣言をしました。

ブームが下り坂になる前に派手に辞めたかった

この引退発表は、彼女が以前から不満を抱いていた全女との関係が悪化していたことが背景にあります。「プロレスは好きだったけど、松永会長以外の会社の人たちが嫌で、もう我慢できなかったんです」と後に語っています。

実は、前年の夏頃から「辞めたい」と訴えていたのですが、上役たちは全女の売上が減るのを恐れて強く引き止めていました。だから、彼女は記者を集めて無断で引退発表をするという、大胆な行動に出たわけです。

引退裏話

この突然の引退発表には、多くのレスラー仲間やファンが驚きました。特にみんな、「まさかダンプが一番先に辞めるとは思わなかった。クラッシュギャルズの方が先だと思ってたのに」と思っていたそうです。

また、ダンプさんが後に語ったところによると、実はライオネス飛鳥も同時期に引退して、一緒に芸能界に進出する計画があったんです。でも、飛鳥が「まだチャンピオンになってないから引退できない」と涙ながらに謝ってきて、この計画は流れてしまいました。

ライリー
ライリー

ライオネス飛鳥さんは1988年の夏にチャンピオンになったので、結果的に、ダンプ松本さんと一緒に引退しないでよかったんだね

ダンプ松本さんの引退から10日後、同期の大森ゆかりさんも引退を発表し、1988年2月25日には川崎市体育館で二人の引退記念大会が開催されることになりました。

家族への思い

ダンプ松本さんは幼少期を振り返り、「貧乏で、本当にお父さんが働かず、お母さんが一人で育ててくれた」と語っています。

母への感謝の気持ちが強く、

「お金がなかったので、プロレスラーになれば給料が良いと思った。OLよりも3倍もらえると書いてあったので、母に好きなものを買ってあげられると思って、プロレスラーの道を選びました」

と明かしています。

家族への最大のプレゼント

1987年、ダンプ松本さんは27歳のとき、母への最大のプレゼントとして家を購入しました。妹から「車がほしい」と言われた際、母には「家がいい」と頼まれたことがきっかけです。

すでにローンも払い終えているそうですが、実家に帰ると「イヤな顔をされていました。ヒール役だから、『家に帰ってくるな!』って言われていました」と、家族とのやり取りを振り返っています。

ライリー
ライリー

引退したら実家に帰れる、ってダンプ松本さんは思ったのかもしれないね

モーリー
モーリー

極悪同盟のヒールの影響で家族からダンプさんが買ってあげた家に「帰ってこないで!」と言われたなんて、ちょっとかわいそうね。

ダンプ松本の引退試合

1988年2月25日、川崎体育館はダンプ松本さんの引退試合を見届けようと集まったファンで熱気に包まれていました。

ヒールレスラーとして一世を風靡した彼女が最後に選んだ相手は、かつてのライバルであるクラッシュギャルズ。

引退試合であっても凶器のドラム缶攻撃。最後までブレないダンプ松本(出典:YouTube)

長与千種さんとライオネス飛鳥さんとのタッグマッチは、激しい戦いが予想されていましたが、この後、誰も予想しなかった展開が待っていたのです。

ダンプ&大森 vs クラッシュギャルズ 〜激戦の幕開け〜

予定されていた引退試合では、ダンプ松本さんは大森ゆかりさんとタッグを組み、クラッシュギャルズ(長与千種さんとライオネス飛鳥さん)と激突。

引退試合のレフリーはこの人しかいないですよね!阿部四郎極悪レフリー(出典:auctions.yahoo)

試合開始から、ダンプさんは得意技「ダンプ・ドライバー」や「ダンプ・ボム」で圧倒的な力を見せつけ、会場を盛り上げました。一進一退の攻防が繰り広げられ、途中、4人全員が流血するほどの白熱した展開に。

味方の大森ゆかりにフォーク攻撃するダンプ松本(出典:YouTube)

ライリー
ライリー

なぜ、タッグを組んだ大森ゆかりさんのフォークを突き刺したのか謎

モーリー
モーリー

ダンプ松本さんの演出力はすごいわ。とにかく観客は流血に興奮するってことを熟知したうえでのこの謎の攻撃なのよ

結果は13分50秒で無効試合となりましたが、このままでは終わりませんでした。実はここからが、本当のクライマックスだったのです

急遽決定!ダンプ松本&長与千種の夢のタッグ

試合後、ダンプ松本さんが突然マイクを握り、「今日で終わりだ。長与、来い!このままで終わっていいのか?」と叫びます。

「立て、長与!このままで終わっていいのか?」いよいよ、ここから本当の引退試合が始まります(出典:auctions)

これに応じて長与千種さんも、「よし、本当のプロレスを見せてやる!私たちだけしかできないプロレスを見せてやる!!」と返します。

長与千種「本当のプロレスを見せてやる! 私たちだけしかできないプロレスを見せてやる」(出典:YouTube)

そして、大森ゆかりさんも珍しくマイクを持ち、「飛鳥、立て。一緒にやろう!」と呼びかけます。ダンプが長与の腕を引いて青コーナーを背に立った時、飛鳥が「(昭和)55年組にしかできないプロレスを、これから見せるぞ!」と応えます。

花の55年同期組
左:長与千草
中:ダンプ松本(当時は松本香)
右:ライオネス飛鳥(当時は北村智子)
(出典:週刊女性PRIME)

こうして長与&ダンプ vs 飛鳥&大森の5分間のエキシビションマッチが急きょ行われることに。4人はスタミナを消耗しつつも、力の限りファイトを繰り広げ、長与さんとダンプさんはダブルラリアットや合体技を披露し、観客を再び沸かせました。

この引退試合でのクラッシュギャルズの歌のタイトルは「友情」(出典:YouTube)

最終的には時間切れ引き分けとなりましたが、試合後、長与さんとダンプさんは握手し、ダンプさんは長与さんを抱きかかえて超満員の観客からの大声援に応えました。

引退記念試合。長与千草からダンプ松本に花束が。最後の最後までヒールに徹したダンプ松本、涙はなし(出典:東スポWEB)

ダンプさんと大森さんはクラッシュギャルズから花束を贈呈されましたが、安っぽい感動の涙は流さず、最後までヒールを貫き通しました。

バックステージでの会見

引退試合の後、バックステージでの会見場にダンプ松本さんが登場し、「どうだ、泣かなかっただろ!」と言いながら笑顔を見せました。

長与千種さんとの初タッグの感想を聞かれると、「WWWAタッグ王座を狙いたかった」とジョークで返しました。また、「この4人で歌でも出そうかな。『あの時はゴメンね』っていうタイトルで」と、早くもタレントとしての才能を発揮しました。

引退後の活動

引退後、ダンプ松本さんと大森ゆかりさんは同じ事務所で芸能活動をスタートさせました。二人は「桃色豚隊(ピンクトントン)」というユニットを結成し、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」をリリースしました。

シングルCD「赤いウィンナー逃げた」。作詞はあの秋元康さん(出典:aucfree)

まとめ

今回は、ダンプ松本さんの引退理由、引退試合、そして急遽行われたエキシビションマッチについてご紹介しました。

ダンプ松本さんは、全日本女子プロレスの環境に嫌気が差し、特に松永高司さん以外の人間との関係がストレスとなり、引退を決意しました。プロレスへの未練もありましたが、最終的には辞めることを選びました。

1988年2月25日川崎市体育館での引退試合終了後。
一番左:ライオネス飛鳥
左から2番目:大森ゆかり
右から2人目:ダンプ松本
一番右:長与千草
手に持っている大入り袋が卒業証書のように見えます。(出典:NEWSポストセブン)

引退試合は1988年2月25日に川崎体育館で行われ、ダンプさんは大森ゆかりさんとタッグを組み、クラッシュギャルズの長与千種さんとライオネス飛鳥さんと対戦。激しい攻防が繰り広げられましたが、結果は無効試合となりました。

試合後、ダンプさんがマイクを握り、長与さんとの夢のタッグを実現。急遽行われたエキシビションマッチでは、ダンプ&長与が飛鳥&大森と対戦し、再び観客を魅了しました。最終的には時間切れ引き分けとなり、このマッチは引退試合のクライマックスとして伝説の試合となっています。

2019年4月3日放送「有吉大反省会スペシャ 衝撃のカミングアウト」に2人そろって仲良く出演(出典:ダンプ松本公式ブログ)

絶賛配信中のNetflix「極悪女王」の視聴と併せてお楽しみいただけたら幸いです。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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