高野鎮雄の挑戦!ビクターVHSの世界規格化と逆転劇【プロジェクトX】

人物

6月1日19時30分~NHK総合で「プロジェクトX ~挑戦者たち~ 名作選」として、「窓際族が世界規格を作った ~VHS・執念の逆転劇~」が放送されます。

画像:Victorホームページより
昭和世代には懐かしい、ビクターのニッパー犬。

今回、「プロジェクトX 」が紹介するのは、
日本ビクターの高野鎮雄(たかのしずお)さんが、リストラ危機に瀕した技術者たちと共に極秘プロジェクトでVHSビデオレコーダーを開発し、世界規格を作り上げたという感動の逆転劇です。

当時のNHKの担当プロデューサーは、この感動の逆転劇を知り、「プロジェクトX」という番組を作ろうと決めたと言われているほど、このエピソードには高野さんの志と挑戦が満ち溢れています。

また、この逆転劇は「陽はまた昇る」というタイトルで2002年に映画化されました(西田敏行さん主演)。
窓際族の男たちの熱いヒューマンドラマが描かれた素晴らしい作品となっています。

画像:映画.comより

リストラ寸前の窓際族であった技術者たちがVHSを開発し、世界規格を執念で成し遂げた奇跡の物語とはどのようなものだったのでしょう。


プロジェクトXで取り上げられ、映画化にもなった「ミスターVHS」高野鎮雄のVHS開発物語。
ここでは、日本ビクターの窓際族たちが挑んだ世界規格への逆転劇を詳しく解説していきます。


6月1日の「新プロジェクトX」の放送と併せて、ぜひご覧ください。

日本ビクターの危機

日本ビクターの危機:高野鎮雄の挑戦の始まり

昭和45年、日本ビクターは業界8位の中堅企業であり、ビデオ事業は赤字続きでした。家庭用ビデオの市場は拡大していましたが、成功の兆しは見えませんでした。

ライリー
ライリー

その当時の日本ビクターは、毎月5,000万円の赤字があったんだって。

そんな危機的状況に置かれていた中、事業部長任命されたのが、高野鎮雄さん(当時47歳)でした。

高野鎮雄の経歴

モーリー
モーリー

本題に入る前に、まずは高野さんのプロフィールを簡単に教えて欲しいわ

高野鎮雄(たかのしずお)プロフィール

  • 1923年8月18日 – 1992年1月19日(68歳没)
  • 愛知県安城市(旧依佐美村)出身
  • 高校:愛知県立刈谷高等学校卒業
  • 大学:静岡大学卒業
  • 昭和21年(1946年)日本ビクター入社
  • 昭和45年(1970年)ビデオ事業部長に
  • その後、取締役・常務・専務を経て昭和61年(1986年)副社長に就任する。
  • 事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。
ライリー
ライリー

よし、これでプロフィールはわかったよ!

モーリー
モーリー

いよいよ次からは高野さんの奇跡のストーリーが始まるのね

高野鎮雄と窓際族たちの挑戦

高野鎮雄と窓際族たちの挑戦:VHS開発の舞台裏

危機的状況から脱するため、高野鎮雄さんは技術者をリストラするようビクターの経営陣から命じられます。

高野さんは趣味の盆栽を餞別として用意しようと考えるほど心優しい人物でした。
そんな高野さんは、リストラ候補の技術者たちとの面談を重ねるうちに解雇の決断を悩むことになります。

そして、彼は技術者たちの将来を考え、極秘プロジェクトを立ち上げる決意を固めるのです。

極秘プロジェクトとは?

VHS開発の極秘プロジェクトとは?高野鎮雄の戦略

高野鎮雄さんが極秘裏に立ち上げたプロジェクトとは、「VHS開発プロジェクト」でした。

彼は2名の若手技術者たちと共に、この極秘プロジェクトを結成し、本社には一切報告せずに新型ビデオレコーダーの開発に挑みました。

高野さんのビジョンは、「ホームビデオを家庭に1台ずつ普及させる」ことでした。
このビジョンに共感した若く志の高い技術者たちがプロジェクトに参加し、彼らは4年の歳月をかけてVHSの原型を完成させたのでした。

ライリー
ライリー

高野さんがミスターVHSと称された理由はここにあるんだね

モーリー
モーリー

高野さんはVHSの父、とも呼ばれているわよね

打倒世界のソニー!VHS vs ベータマックス

VHS vs ベータマックス:高野鎮雄とソニーの対決

当時は「世界のソニー」称されたソニーのβ形式(ベータマックス)が主流でした。

そこで、高野鎮雄さん率いるビクターのVHS方式開発極秘チームは、ベータ方式の2倍2時間録画を実現を目指しソニー打倒に挑戦します。

高野さんが2時間の録画時間実現を目指した理由
  • 当時、家庭での録画ニーズは、テレビで放送される映画やスポーツの試合など、1回の放送が2時間前後のものが主流でした。
  • ところがベータ方式での最長録画時間は1時間しかありませんでした。
  • 一方、2時間録画可能のVHS方式は1本のテープで2時間の録画が可能であったため、視聴者は面倒なテープ交換をせずに、番組をまるごと録画することができると考えたからです。

このVHS開発プロジェクトによる2時間の録画時間の実現は、家庭で録画した映画やドラマ観賞を楽しむ多くの人々に非常に好評でした。

画像:wikipediaより
ビデオカセットテープの違い
上:ベータ方式のBetamax
下:VHS方式

ライリー
ライリー

2時間録画可能という利便性が消費者に受け入れられたんだね

モーリー
モーリー

そうね、この消費者目線こそがVHS方式の勝因ね

このような挑戦的な取り組みが、VHSの普及と成功につながったことは、家電業界のみならず、世界中の消費者にとっても革命的な出来事でした。

VHSの市場導入とビデオ戦争

VHSの市場導入とビデオ戦争:高野鎮雄の成功物語

高野鎮雄さんはVHSの有用性を他の家電メーカーに紹介し、あのパナソニックの創業者である松下幸之助さんの賛同を得るまでに至りました。

松下幸之助さんは「ソニーのβは100%の完成度やが、VHSは150%でんな」と評価し、自社開発技術を捨ててVHSを採用しました。

画像:生成発展より
昭和50年9月3日、旧日本ビクター横浜工場を訪れた松下幸之助さんにVHSの仕組みを説明する高野鎮雄さん。
左:松下幸之助さん(当時80歳)
右:高野鎮雄さん

ここでの松下さんの消費者目線での一言、「確かにこっちの方が軽うおますな」が日本ビクターの運命を変えることになります。

また、高野さんは市場を占有することなく、なんと自社製品を競合他社に無償で貸し出し、ノウハウを公開したのでした。

競合他社との共同によりVHSデッキを改良することで、ソニーのベータに対抗する圧倒的な家庭用ビデオデッキを作り出すことに成功しました。

ライリー
ライリー

高野さんが試作機を無償で提供したライバル会社は、日立製作所やSHARPや三菱電機なんだって!

モーリー
モーリー

他社の技術も取り入れたことで、ベータとの全面戦争で勝利したのね

これら取り組みによって、高野さんのチームが開発したVHSは日本初の世界規格商品として世界にも進出することになりました。

高野鎮雄のリーダーシップによる逆転劇とその後

高野さんは、リーダーシップを発揮し、「ホームビデオを家庭に1台ずつ普及させる」という明確なビジョンを部下たちと共有し、彼らを一つの目標に向かって結束させました。

高野さんのリーダーシップは、VHSプロジェクトの推進力となり、日本ビクターを世界に誇る技術を持つ企業へと導きました。
この世界的な成功後、高野さんは副社長に昇進し、組織の発展にさらに貢献しました。

ライリー
ライリー

高野さんのリーダーシップがリストラ寸前の技術者たちでなく、日本ビクターも救ったんだね

モーリー
モーリー

日本ビクターのVHSは日本だけでなく世界規格になったんですものね

高野鎮雄の葬儀での感動ストーリー

副社長を退任した高野さんは、その後ガンを患い、退任から2年後の平成4年(1992年)に他界されました。

本社からの圧力に対抗し、リストラ候補者を一人も解雇せずに部下を守り抜いた高野さんの部下への愛情は、葬儀の際に従業員から次のような形で恩返しされました。

なんと、高野さんの棺を乗せた車が横浜工場前に立ち寄った際、全工員と技術者が感謝の気持ちを込めて横断幕を掲げて見送ったのです。

画像:プロジェクトXより
高野さんの棺を見送る日本ビクターの従業員。

従業員による手製の横断幕にはこう書かれてています。
「ミスターVHS高野鎮雄さん
ありがとうございました
安らかにお眠りください」

ライリー
ライリー

亡くなってから2年経った後も全従業員からこんなに慕われているなんて

モーリー
モーリー

高野さんの肉体はなくなっても、存在は生き続けているのね

高野鎮雄さんと270人分の盆栽

高野鎮雄と270人分の盆栽:人間味あふれるリーダー

高野さんの生前の趣味は盆栽でした。

高野さんはVHS開発を会社に極秘で始めたわけですが、もしこれが会社に知られ、なおかつ失敗に終わたとき、彼は従業員全員の解雇を覚悟したと言います。

部下に対してどう責任を取るべきかを考えた末、高野さんはは1年かけて、事業部だけでなく横浜工場全工員分の盆栽を用意しました。
その盆栽の数は270個。横浜工場で働く、全工員の人数と同じ数でした。

万が一、プロジェクトが失敗した際に、部下1人1人に「すまなかった」とお詫びのしるしとしてこの松の盆栽を渡すつもりだったそうです。

画像:プロジェクトXより
高野鎮雄さんが、餞別代りに自宅で育てた松の盆栽たち。
その数、全従業員の数と同じ270鉢。

ソニーの「ベータマックス」とのビデオ戦争に勝利した高野さんは、誰一人リストラすることなく、全員守り抜きました。
結局、270個の盆栽を従業員に手渡すことはありませんでした。

それら270鉢の盆栽は、高野さんの奥様の智恵子さんによって、高野さんのご自宅の庭で大事に育てられたそうです。

終わりに~ミスターVHS・高野鎮雄の言葉~

高野鎮雄さんは生涯を通じて技術革新とリーダーシップを発揮し続けました。
彼の言葉には、深い信念とビジョンが宿っています。ここに、高野鎮雄さんの名言を一つ紹介します。

画像:プロジェクトXより
平成2年(1990年)6月、副社長退任式での高野さん。
退任式には全従業員が駆けつけたという。

高野鎮雄・副社長退任式での名言

『VHSの時は夢中でしたね。
夢中っていうのはたいへんすばらしいことだと思う。
神様がね、こんなすばらしい人たちを私の周りに置いて下さった。
ぜひ皆さんも何でもいいですから夢中になってください。』

この言葉に表れているように、高野鎮雄さんの成功は、単なる技術の勝利ではありませんでした。
彼の成功は、人間としての信念とリーダーシップの勝利でもあったのでした。

高野鎮雄さんが遺したものは、VHSの世界規格化という技術的な偉業だけではありません。
彼の愛情と信念は、人々の心に深く刻まれています。

それは、私たちに夢中になることの重要性を教えてくれるものであり、これからも多くの人々に感動と影響を与え続けるでしょう。

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