10月28日(月)22:00放送の「クレイジージャーニー」では、台湾の神秘的な儀式、タンキー(童乩)の不思議な魅力、また迎王祭について怪談師でありオカルト研究家の吉田悠軌さんがリポート!
ところでこの摩訶不思議な台湾の儀式「タンキー」は果たして本当なのでしょうか。
普渡三公(出典:四季線上)
「本当に神様が憑依しているのか?」や「これはただのパフォーマンスじゃないの?」「本物?怪しい」と信じていいのかどうか疑う声もあります。
今回はこの神秘的な台湾の儀式、タンキー(童乩)について取り上げます。
タンキー(童乩)とは?
タンキー(童乩)とは神様が人に憑依して、メッセージを伝えたり、力を示したりする存在です。これは中国の民間信仰に基づくもので、台湾や香港では特に盛んです。
普渡三公(出典:四季線上)
神様が憑依する行為を「起乩」と呼び、その全過程を「扶乩」と言います。実は、タンキー(童乩)は道教の正統な儀式ではなく、民間信仰の一部ですが、仏教や道教の信仰とも密接に関わっています。
普渡三公とは?
普渡三公は、台湾の伝統的な信仰の対象で、主に悪霊を鎮めるために祀られています。
(出典:tvbs)
祭りや儀式の際には神が降りて、人々の願いを聞き入れる役割を担っています。彼らは庶民の守護神として信仰され、地域の人々にとって心の支えとなる存在です。
本当に神が降りているのか?
屏東九如鄉の東寧清水祖師宮にいる普渡三公のタンキーは、出巡の際には黒い服を着て、顔と手を黒く塗り、大きな目を見開いています。その姿から「黒面男神」と呼ばれています。
また、普渡三公はお酒を好むため、出巡の際にはまず58度の高粱酒を一瓶飲み干します。飲み終わっても顔色ひとつ変えず、息切れすることもありません。
最高記録では、三公は一度の巡行で12本の高粱酒を飲んだこともあると言われています。
ネット上では「58度の酒を一気飲みしたこのタンキーの肝機能が心配」といった声も(出典:nownews)
さらに、タンキーは目を大きく見開いたまま、数時間も一切瞬きせずに行動します。普通の状況で30秒も瞬きせずにいるのは非常に難しいものですが、数時間もそれを続けるのは驚異的です。
このため、多くの人々は本当に神が降りていると信じています。
台湾でのタンキー(童乩)の由来
普渡三公の正式名称は「陰帝公普渡三公」で、信者たちは普段「三公」と呼んでいます。普渡三公の由来についてはさまざまな説がありますが、最も広く知られているのは、普渡三公が生前、タイのある地域で非常に有名な善人であったというものです。
彼は普段から善行を重ね、人助けをすることに尽力していました。あるとき、村の病気に苦しむ人々を救うために、深い山中に薬草を採りに行った際、誤って毒を口にして命を落としてしまったと言われています。
普渡三公の一人吳順達さん(出典:nownews)
その後、彼は陰間に転生し、陰府の様々な事務や霊魂を管理する役割を担うようになりました。そのため、普渡三公に相談に来る信者の多くは、家の先祖や霊魂に関する問題を抱えている人々です。
タンキー(童乩)の役割は、人と鬼、神の間をつなぐことだけでなく、信者の悩みを癒したり、時には難病の治療にも役立てられることがあります(ただし、その効果はまだ証明されていません)。これらの活動は、東南アジアの巫術とも関連があります。
やらせやパフォーマンスの可能性は?
普渡三公のタンキーである吳順達さん。儀式をしていない時の普段の姿はこんな感じです。(出典:四季線上)
タンキー(童乩)の儀式を目の当たりにした人々の中には、演出ややらせがあるのではないかと感じる人もいるでしょう。
特に、派手な演出や音楽、華やかな衣装は、一見するとエンターテイメントのように見えます。以下の点を考慮することで、タンキー(童乩)の儀式が持つ意味をより深く理解できるかもしれません。
- 文化的背景
タンキー(童乩)の儀式は、単なるエンターテイメントではなく、文化や歴史に根ざした伝統行事です。信者たちにとって、神様とのつながりを感じる貴重な時間でもあります。
- 信者の体験
多くの信者がタンキー(童乩)の儀式を通じて、悩みや不安を解消してきたと語っています。実際に自分の人生に影響を与えたと感じる人が多いことから、儀式はただのパフォーマンスではないと考えるべきでしょう。
- 神秘的な体験
神様が憑依した際の体験は、参加者にとって非常に神秘的で感動的なものです。このような体験は、演出によって簡単に再現できるものではありません。
まとめ
タンキー(童乩)の儀式は、その文化的背景や信者の体験から、単なるパフォーマンスややらせとは一線を画すものです。
もちろん、すべての儀式が真剣に行われているとは限らず、詐欺的な行為が存在することも事実ですが、タンキー(童乩)自体は多くの人にとって心の支えとなっている重要な存在と言えるでしょう。
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