10月7日(月)夜7時放送の「帰れマンデー見っけ隊!!3時間スペシャル」では、サンドウィッチマン・伊達さんの第二の故郷、福島県会津を旅します。
「猪苗代湖・湖畔にある謎の白亜の洋館」とは?(画像:帰れマンデー見っけ隊HP)
ここでは、今回の旅のゴールである、
「昭和天皇など数々の皇族が訪れた、猪苗代湖の湖畔の森の奥にたたずむ謎の白亜の洋館」
について取り上げます。
謎の白亜洋館「天鏡閣」
その謎の洋館の正体は「天鏡閣(てんきょうかく)」のことです。
ルネッサンス様式の美しいデザインが特徴の「天鏡閣」
天鏡閣は明治41年に有栖川宮威仁親王によって建設され、大正天皇によって「天鏡閣」と命名されました。
1924年(大正13年)には、高松宮宣仁親王が有栖川宮の祭祀を引き継ぎ、天鏡閣もその後に引き継がれました。さらに、昭和天皇や香淳皇后も新婚旅行でこの場所を訪れたことがあるのです。
1979年(昭和54年)には、天鏡閣本館、別館、表門が国の重要文化財に指定され、1982年(昭和57年)には修復工事が完了し、一般公開が始まりました。
天鏡閣の見どころ
天鏡閣の内部は何があるの?
天鏡閣は、ルネッサンス様式を取り入れた和洋折衷の建築で、白い板壁やバルコニーが特徴的です。
白亜の洋館の名にぴったりのドレッサーですね。(出典:JAPAN WEB MAGAZINE)
内部にはビリヤード室や大理石製のマントルピース、豪華なシャンデリアなどがあり、当時の贅沢な生活を垣間見ることができます。
奥:天鏡閣の球戯室ある玉突台(ビリヤード台)(出典:JAPAN WEB MAGAZINE)
また、天鏡閣の館内には7面の鏡があり、各室およびホールには26基の暖炉が設置されています。大理石のマントルピースはイギリス製のマジョリカタイルで装飾されており、その美しさは訪れる人々の目を引きます。
天鏡閣のマントルピース(出典:JAPAN WEB MAGAZINE)
マントルピースとは、欧米の住居によく見られる、作り付け暖炉の周りを囲む装飾のことです。最近では、韓国のインテリア好き女子たちの間で飾り棚としても注目されています。
マントルピースの上部分は「マントルシェルフ」と呼ばれ、美術品や写真などが並べられるスペースとなっています。
こちらはお風呂、というよりバスルーム、と呼んだ方がふさわしいほど、洋風感たっぷりですね(出典:JAPAN WEB MAGAZINE)
天鏡閣の建設背景について
威仁親王が天鏡閣を建てた理由とは?
天鏡閣は、明治41年に有栖川宮威仁親王によって建設されました。その理由は、威仁親王が猪苗代湖畔の美しい景色に深く感銘を受けたことにあります。
1907年(明治40年)、威仁親王は東北地方を旅行中に猪苗代湖を訪れ、その風光明媚な自然に魅了されました。この経験をきっかけに、彼はこの地に別邸を建てることを決意し、翌年の1908年(明治41年)に天鏡閣が完成しました。
天鏡閣の名前の由来は?
「天鏡閣」という名前は、李白の句「明湖落天鏡」に由来しています。
この句は、猪苗代湖の湖面がまるで鏡のように美しく輝く様子を表現しており、それに感銘を受けた皇太子時代の大正天皇が命名しました。
天鏡閣は、ただ威仁親王の別邸であるだけでなく、その後は高松宮家の所有となり、皇族の静養地としても利用されました。
イケメン!有栖川宮威仁親王
有栖川宮威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう、1862年2月11日 – 1913年7月10日。 51歳没)は、日本の皇族であり、海軍軍人としても活躍した人物です。
イケメン有栖川宮威仁親王。17歳前後当時の頃と思われます。(出典:bakumatsu_ikeme X)
海軍軍人としてのキャリア
有栖川宮威仁親王は明治天皇の命により海軍軍人を志し、海軍兵学寮に入学。その後、イギリスに留学し、帰国後は日本海軍の発展に貢献しました。
有栖川宮家の第10代当主であり、元帥海軍大将の称号を持つ有栖川宮威仁親王(出典:asiamedals.info)
日清戦争や日露戦争では重要な役割を果たし、特に日露戦争ではロシア皇太子ニコライ2世の接遇を担当しました。
天皇ではないが皇族の一員
有栖川宮威仁親王は天皇陛下ではありません。彼は日本の皇族の一員であり、海軍軍人としての功績がありますが、天皇の地位にはありません。
有栖川宮威仁親王、は明治天皇の養子として親王宣下を受け、有栖川宮家の第10代当主となりました。
有栖川宮威仁親王は日本の皇族としてだけでなく、海軍軍人としても多くの功績を残したんだね
天鏡閣を建設した有栖川宮威仁親王はイケメンで、日本の歴史においても重要な人物なのね!
結婚と家族
有栖川宮威仁親王は、16歳の時に加賀藩主前田慶寧の四女、慰子妃と結婚し、3人の子供をもうけました。
有栖川宮威仁親王の妻:前田慰子(まえだ やすこ)様(出典:kariginu.jp)
妻の慰子妃(たけひとしんのうひ やすこ)は1864年3月15日に生まれ、1923年6月30日に59歳で亡くなりました。彼女は1878年(明治11年)に有栖川宮威仁親王と結婚し、結婚当時の年齢は14歳でした。
ロケ地としての天鏡閣
天鏡閣はその美しいルネッサンス様式の建築と歴史的な背景から、多くのドラマや映画のロケ地として親しまれています。ここでは、具体的な作品をいくつかご紹介します。
ドラマ
2016年: 「夏目漱石の妻」
2022年: 「元彼の遺言状」
映画
2010年: 「白夜行」
2020年: 「約束のネバーランド」
バラエティ番組
2016年: 「ぶらタモリ」
2019年: 「クイズ世界ふしぎ発見!」
一般公開でできること
天鏡閣では、訪問者が楽しめるさまざまな体験が用意されています。以下のような体験を楽しむことができますよ。
明治風ドレス試着体験
天鏡閣は一般公開をしていて、明治風ドレスの試着体験で、華やかな貴婦人の気分を味わうことできます!
明治風ドレス試着体験(出典:天鏡閣HP)
- 着付け時間: 約10分
- 料金: 1着1,000円
- 対象: 女性限定。子ども体験可能です。
- 予約: 不要
子ども用ドレスもたくさん用意があります(出典:天鏡閣HP)
賓客食堂でのティールーム
また、賓客食堂をティールームとして開放しています。ここでは、天鏡閣オリジナルの紅茶や裏磐梯産のハーブティーと共に、季節のスイーツを味わうことができます。
貴族になった気分で優雅にティータイム(出典:天鏡閣HP)
ガーデンカフェで天鏡閣ケレーも試したい!
天鏡閣の建物の目に前にある、軽食コーナー、天鏡閣のガーデンカフェでは名物「天鏡閣ケレー」や「天鏡閣コロッケレー」が食べられます。
天鏡閣の目の前にある軽食コーナー(出典:tripadvisor)
天鏡閣ケレーは明治時代の薬膳カレーを再現しており、福島牛を使用したスパイシーな味わいが特徴なカレーです。(出典:天鏡閣HP)
天鏡閣コロッケレーは、サクサクのコロッケの中にカレーが詰まっており、外はカリッと、中はジューシーな食感が特徴です。(出典:天鏡閣HP)
天鏡閣基本情報・アクセス情報
新緑が美しい初夏の天鏡閣
- 場所
福島県耶麻郡猪苗代町翁沢御殿山1048
- 交通(公共交通機関で)
磐越西線猪苗代駅下車・駅前より磐梯東都バスで約15分 長浜下車徒歩5分。
- 交通(車で)
磐越自動車道、猪苗代磐梯高原I.Cから国道49号を会津若松方面へ約8km。
- 駐車場:あり
- 時間: 5月~10月 8:30~17:00 / 11月~4月 9:00~16:30
- 休み: 無休
- 料金: 大人370円・高校生210円・小中学生100円
- 問い合わせ: 0242-65-2811
夜のライトアップもきれいな天鏡閣
まとめ
今回は、10月7日(月)夜7時放送の「帰れマンデー見っけ隊!!3時間スペシャル」で取り上げられる、福島県猪苗代町の「天鏡閣」についてご紹介しました。
この美しい白亜の洋館は、イケメン有栖川宮威仁親王によって建設され、昭和天皇や他の皇族たちも訪れた歴史的な場所です。
ルネッサンス様式の魅力あふれる建築とともに、明治風ドレスの試着体験や賓客食堂でのティールームも楽しめるという、訪れる人々に特別な体験を提供しています。
当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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