高見沢俊彦さんといえば、THE ALFEEのギタリスト&ヴォーカルですよね!
そのTHE ALFEEは、2024年8月25日にデビュー50周年を迎える国民的アーティスト。
2024年4月17日、70歳の誕生日を迎えた高見沢俊彦さん。
古希には見えませんね。
今年2024年の青森ねぶた祭では「THE ALFEEねぶた」が登場!
実際に「THE ALFEEねぶた」を見た人の感想は、
想像以上にアルフィーだった!!
そんな偉大なアルフィーのリーダーを務めている高見沢俊彦さんですが、ご家族について気になりました。
高見沢さんのお父さんやお母さんはどのような方なのでしょうか。
どんな家庭環境で高見沢さんは育ったのでしょうか。
今回は、THE ALFEE高見沢俊彦さんのご両親、家族構成について調べてみました。
さらに、ご両親が高見沢さんについて記した日記も紹介します。
では早速、一緒にみていきましょう。
高見沢俊彦さんの家族構成
では、最初に高見沢俊彦さんの家族構成から簡単にみていきましょう。
高見沢さんの髪型から時代を感じますね。
高見沢俊彦
高見沢俊彦さんは、1954年4月17日(昭和29年)に、高見沢家の次男として生まれました。
高見沢俊彦さんが生まれたとき、父は40歳、母は33歳。兄は8歳でした。
父親(高見沢栄さん)
高見沢俊彦さんのお父さん、高見澤栄さんは国語の教師として活躍し、最終的には東京都北区立赤羽中学校(現在の赤羽岩淵中学校)の校長先生を務めました。教師としての人生を全うし、2007年に93歳で亡くなられました。
母親(高見沢久美子さん)
高見沢俊彦さんのお母さん、(旧姓:坂本)久美子さんも元教師であり、夫と共に子供たちを育て上げました。2023年7月に103歳で亡くなり、長い人生を全うされました。
兄(高見沢惇一さん)
高見沢俊彦さんには8歳年上のお兄さんがいます。惇一さんは昭和21年(1946年)に生まれ、有名な私立大学を卒業後、大手光学機器メーカーに就職されました。残念ながら、お兄さんもすでに亡くなられています。
高見沢俊彦の父について
それでは、まずお父さんの経歴からご紹介します。
父・高見沢栄さんの生い立ち
高見沢俊彦さんの父、高見澤栄(さかえ)さんは大正3年(1914年)1月22日に東京都西多摩郡五日市町で生まれました。
12歳当時の高見沢さんの父・栄さん
栄さんは幼少期に両親を次々に亡くし、6歳で生母サハさん(享年38歳)、9歳で父栄蔵さん(享年50歳)を失います。
その後は、義理の母であるイシさんと腹違いの弟である章三さんと共に育ちました。
高見沢さんのお父さんは、まだ9歳で実のご両親を亡くしてしまったんだね
9歳なんて、父さんとお母さんにまだ甘えたい盛りよね
苦難の中での教育への道
幼い頃に両親を亡くし、非常に厳しい環境で育った父・栄さん。しかし、栄さんは努力を重ねて、寄宿舎設備を備えている東京・青山師範学校(現在の東京学芸大学)に入学します。
義理のお母さんと、腹違いの弟との3人暮らしは気まずいものがあったらしい。
栄さんは尋常小学校を卒業した後は、寄宿舎のある学校に進学したというのは、それが理由なのかもしれないわね。
当時の青山師範学校の入学定員は80名に対して、750名もの応募がありました。栄さんがいかに努力して合格を果たしたかがうかがえます。
こうして、栄さんは昭和9年(1934年)に師範学校を卒業し、小学校の教師としてキャリアをスタートさせます。
さらなるキャリアアップ
また、栄さんは1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)にかけて、小学校で教鞭をとりながら夜間大学(立正大学)に通います。中学の国語の教員免許を取得するためです。
在学中の成績は常に上位で、1学年時には58人中1位、卒業時には全体の2位という優秀な成績を収めました。
高見沢俊彦さん自身も、明治学院大学在籍中は、英文学科を専攻していて、英語教師を目指していた時期もあったそうだよ。
THE ALFEEをやっていなかったら高見沢さんは英語の先生になっていたかもしれないわね
妻との出会いと結婚
栄さんは義母(イシさん)の弟である坂本米太郎さんの家を訪れることが多くなり、そこで出会った坂本久美子さんと結婚します。
この結婚は召集令状が来た直後に行われ、戦地へ向かう前の短い期間での結婚式でした。
高見沢俊彦さんのご両親は昭和20年(1945年)に結婚。
(栄さん31歳、久美子さん23歳)
最期の別れ
栄さんはその後、東京都北区立赤羽中学校(現・赤羽岩淵中学校)の校長先生にまで昇進し、定年まで教師一筋の人生を送りました。
2007年4月28日、栄さんは、アルフィーのツアー中に老衰で93歳で亡くなられました。
この日、高見沢俊彦さんは郡山市民文化センターでのライブを控えており、父親を看取ることができませんでした。
父との思い出
栄さんは幼い時に両親を亡くし、大変苦労して国語教師になり、中学の校長まで務めました。
そんなお父さんは、作詞をするようになった高見沢さんに、「語彙が少ない」と言って分厚い国語大辞典をプレゼントしたことがあるそうです。
高見沢俊彦の母について
続いてお母さんの経歴をみていきましょう。
坂本久美子さんの生い立ち
高見沢俊彦さんの母、坂本久美子さんは、大正10年(1921年)に米太郎さんとカメさんの間に生まれました。
若い頃のお母さん
美人なお母さんですね。
彼女は昭和9年(1934年)に浦和高等女学校に入学し、卒業後は代用教員として働いていました。
当時の日本は戦争の影響で混乱が続く時代で、久美子さんも厳しい環境の中で自立していきます。
出会いと結婚
久美子さんの家には、父・米太郎さんが警察官だったこともあり、親戚がよく集まっていました。その中には、米太郎さんの姉イシさんの義理の息子である高見沢栄さんも含まれていました。栄さんとの出会いが、久美子さんの人生を大きく変えることになります。
栄さん(左)
栄さん妻:久美子さん(右)
戦争が激しさを増す中、久美子さんの弟も沖縄で戦死してしまうという悲劇がありました。
そして昭和20年(1945年)5月、栄さんのもとに召集令状が届きます。
このことを機に、二人は慌ただしく結婚することを決意しました。当時、栄さんは31歳、久美子さんは23歳でした。
召集令状が届いてからの結婚。
相当の覚悟のうえでの結婚だったのね
戦後の家族と教育者としての道
母・久美子さん。
美形の俊彦さんはお母さん似なのかもしれませんね。
結婚式の後、栄さんは横須賀の海兵団へと入隊し、衛生兵として従事しましたが、乗船する船がなく甲板を磨く日々が続きました。
しかし、昭和20年(1945年)8月15日に終戦を迎え、栄さんの軍隊生活は2か月で終わり、久美子さんの元へと無事に戻ってきました。
旦那さんが生きて戻って来て本当にうれしかっただろうね
その後、昭和21年(1946年)には長男・淳一さんが誕生し、同年に栄さんも国語の教師として復帰します。昭和29年(1954年)には、次男として高見沢俊彦さんが誕生しました。久美子さんは、家庭を支えながらも夫と共に子供たちの成長を見守り続けました。
元気な男の子に育つように俊彦ではなく、なんと「金太郎」と名付ける予定もあったそうよ
母としての一面
高見沢俊彦さんのファンの間では、久美子さんが高見沢さんに電話するたびに「俊彦、髪を切りなさい」と言う、エピソードが有名です。
ファンの方々からはこんなコメントが挙がっています。
- 99歳のお母さんから髪を切れと叱られる66歳の息子、高見沢俊彦!
- 母上さまのお叱りを受けて髪を切る日は来るのだろうか?
- タカミーはお母さんから髪を切れと言われたくて伸ばし続けてる節もありそう。
お母さんの口癖「俊彦、髪を切りなさい」はファンの間では、もはやネタみたいになってるね
晩年の母・久美子さん
母親にとっては子どもがたとえ何歳になっても子供なんだね
高見沢俊彦さんと兄のエピソード
高見沢俊彦さんは、漫画が大好きで、特に「ストップ!にいちゃん」という学園ギャグ漫画に夢中になった経験があります。この漫画の主人公・南郷勇一は、スポーツ万能の中学生ですが、おっちょこちょいな一面もあるキャラクターです。勇一の弟・賢二がそんな彼をしばしばフォローする姿が描かれています。
高見沢さんが好きだった「ストップ!にいちゃん」
小学生だった高見沢さんは、この漫画の勇一兄弟に、自身と8歳年上のお兄さん・惇一さんを重ねて見ていたそうです。
兄の惇一さんは、秀才でありながらも優しい心の持ち主で、不器用だった高見沢さんが困っている時には、組み立て式の付録を手伝ってくれたり、音楽の道を選んだ際にも理解を示してくれたりと、いつも支えになってくれる頼もしい存在だったと言います。
高見沢さんがギターを弾き始めたのもお兄さんの影響でした。
残念ながら、今ではその兄も亡くなってしまいましたが、高見沢さんにとって兄の思い出は今でも大切な宝物なんですね。
久々にこの漫画を読んで、今は亡き兄の思い出に浸ってしまいました。
このように、時々、ふと漫画を手に取ると兄と過ごした日々が鮮やかに蘇り、感謝の気持ちが溢れてくると語っています。
両親が遺した日記
高見沢俊彦さんが音楽の道に進むことを決意した際、父の栄さんは大変反対し、勤務先の同僚に息子の進路について相談していたそうです。
1983年(昭和58年)8月24日、デビューから10年後にアルフィーは日本武道館でライブを行うまでに成長しました。
この時、父の栄さんと母の久美子さんは揃ってライブを観に行き、息子の成功を目の当たりにしました。
その時のお父さんの日記にはこう記されています。
「アルフィーの武道館コンサート 久美子と一緒に出かけた 雨降らず 事故なし もりあがり盛大 大成功」
父の日記
また、お母さんの久美子さんも2012年(平成24年)91歳の時の日記にこのように書き残しています。
「俊彦は親に反して畑違いの道を選び、10年間とても苦労しました。家にも帰らずどれ位心配したか。知らない世界へ入り、どんなに苦労もあったろうと想像できます。よく頑張ったね。」
母の日記
高見沢さんがご両親から愛されて育ってきたことがよく伝わってくるエピソードだね
親の無償の愛を感じるわ
高見沢俊彦さんの埼玉県蕨市のご実家には、THE ALFEEファンの若い人たちが突然押しかけることが頻繁にあったそうです。
それでも、お父さんの栄さんは全く嫌な顔をしなかったばかりでなく、そのファンの子たちを家の中に招き入れていました。
その内の一人、とある青年が栄さんに尋ねたそうです。
「息子の俊彦さんはギターを弾いて歌を歌って芸能系へと入っていく。そこに父親として何か葛藤はなかったのでしょうか」
すると、栄さんはこう答えたそうです。
「子どものことを信じてあげるんだよ」
本当の意味での優しさってこういうことなんだろうな
高見沢さんにとってお父さんはきっと精神的な支えとなる存在だったと思うわ
最後に
今回は、アルフィー、高見沢俊彦さんのご家族について詳しくご紹介しました。
高見沢俊彦さんは8月4日(日)22:00放送の「おしゃれクリップ」にゲスト出演されます。
当日の番組では、デビュー以来50年間のヘアースタイルヒストリーはバスケに打ち込んだ幼少期の想いでなどを語る予定になっています。
どのようなエピソードが飛び出すか放送が楽しみですね。
当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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