ライオネス飛鳥が心酔した女性芸能人は?芸能活動を拒んだ真相とは?

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1970年代から1980年代半ばにかけて、日本の女子プロレス界では「全日本女子プロレス」(通称・全女)が圧倒的な存在感を誇っていました。

全女はビューティーペアやクラッシュ・ギャルズといった多くの人気レスラーを輩出し、女子プロレスブームを巻き起こしました。その影響力はNetflixのドラマ『極悪女王』でも描かれています。

特に80年代に入ると、長与千種さんとライオネス飛鳥さんによる「クラッシュ・ギャルズ」は、プロレスラーとしてだけでなく歌手としても成功を収めました。彼女たちの楽曲は大ヒットし、特に「炎の聖書(バイブル)」や「東京爆発娘!」などが大きな人気を博しました。

ところが、そんな人気絶頂の中で、ライオネス飛鳥さんは次第にクラッシュ・ギャルズとしての芸能活動を拒むようになっていきます。

その原因として、ライオネス飛鳥さんがある女性芸能人に心酔し、その人の言うことしか聞かなくなったという噂があります。その「ある女性芸能人」とは、一体誰だったのでしょうか。

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「ある女性芸能人」とは?

その女性芸能人は「伊藤さやか」さんと噂されています。ライオネス飛鳥さんは当時アイドル歌手だった伊藤さやかさんと音楽番組を通じて知り合い、その後公私に渡って仲良くなったと言われています。

伊藤さやかさんデビューシングル天使と悪魔 (ナンパされたい編)(出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE)

さらに、飛鳥さんは伊藤さんに数千万円もの大金をつぎ込んだとも伝えられています。このお金は伊藤さんの音楽活動に使われたとされ、飛鳥さんがこれまで大切にしていた資金がすべて消えてしまったとも言われています。

貯金尽きて現実に直面?

しかし、最終的にライオネス飛鳥さんは伊藤さんとの関係を断ち切ることになります。その理由として、飛鳥さんが長期間にわたって伊藤さんに経済的な支援を続ける中で、次第に疑念を抱くようになったことが挙げられます。

一説には、飛鳥さんが伊藤さんに強い影響を受け、精神的に依存していた「洗脳状態」に一時的にあったとも言われています。しかし、貯金が尽きたことで現実に直面し、その結果、関係に終止符を打つことになった可能性も指摘されています。

クラッシュ・ギャルズ「ゴールデンベスト」(出典:Amazon)

クラッシュ・ギャルズのアルバム『ゴールデンベスト』には、伊藤さやかさんが作詞・作曲を手掛けた『やっぱ女は顔じゃないよ!』と『勝利』が収録されており、これらの楽曲はライオネス飛鳥さんが歌っています。

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伊藤さやかの経歴

伊藤さやかさんのプロフィール

本名:伊藤 美津子
生年月日: 1963年10月16日(61歳)
出身地: 愛知県名古屋市

伊藤さやかさんの2枚目のシングル「アナタトOVER-HEATシタイ」(出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE)

伊藤さやかさんは、1980年末に資生堂「シャワーコロン」のCMモデルとして芸能界デビューを果たしました。

その後、1981年には日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』でアシスタントグループ「くれよん」のメンバーとして出演し、注目を浴びます。

1982年には、日本テレビのドラマ『陽あたり良好!』でヒロイン役を演じ、一躍注目の若手女優として名前を馳せました。

同年、ビクターからシングル「天使と悪魔〜ナンパされたい編」で歌手デビューも果たし、女優と歌手の二足のわらじを履くことに。

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しかし、1986年には声帯に問題を抱え、歌手活動を一時休止。これにより、しばらくの間、音楽活動は停止することとなりました。

その後、2002年6月、女優・タレントとして芸能活動を再開されています。

伊藤さやかさんと夫の二村英仁さん(出典:https://www.fujioka-sachio.com/report/report20140118.htm)

プライベートでは、音楽家でヴァイオリン奏者の二村英仁さんと再婚し、彼の個人事務所の専務も務めているとのことです。

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