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今回は、プロレス界の伝説、ダンプ松本さんがプロ入りして間もない頃に経験した先輩からのいじめについて掘り下げていきます。
ダンプさんは、亀の甲羅を背負わされたり、洗濯バサミでつるされたり、練習中にボコボコにされたりと、数々の過酷ないじめを受けたと語っています。
ダンプ・ザ・ヒール(出典:shogakukan-comic)
ダンプ松本さんの実体験を元にした漫画「ダンプ・ザ・ヒール」はダンプさんが経験したいじめの様子が描かれれいます。
ここでは、具体的にどのようないじめがあったのか、また、いじめを行ったと噂される先輩レスラーは誰なのか、噂の真相についても詳しく解説します。
さらに、ダンプ松本さんは新人時代のいじめを乗り越え、ヒールとしての全盛期を迎えましたが、その際にも人間関係に悩まされ脱走した過去があることもお伝えします。
ダンプ松本の生い立ちとプロレスへの道
1960年、埼玉県熊谷市に生まれたダンプ松本さん。3歳のときに妹が生まれ、家族4人が四畳半のアパートで生活していました。
父は酒やギャンブルに明け暮れ、母は内職で家計を支えていました。母がアパートの管理人だったため家賃は免除されましたが、父の存在は憎悪の対象で、ダンプさんは「いなくなればいい」と思っていたそうです。
大好きなお母さん:里子さんと(2021年5月9日) (出典:ダンプ松本公式ブログ)
大好きな母を苦しめる父を助けたい、強くなりたいという思いが募り、プロレスの道を選びました。「強くなりたい気持ちと、母を楽にさせたかった」と語っています。
1978年に全日本女子プロレスのオーディションを受けましたが不合格。しかし、1980年には6000人の中からプロテストに合格し、入門を果たしました。
合格までの間、目黒の本屋でアルバイトをしながら厳しいトレーニングを続け、毎日のランニングが課題でした。この経験が、彼女のプロレスラーとしての新たなスタートとなったのです。
プロテスト合格後の苦難
ダンプ松本さんがプロテストに合格し、いよいよデビューが決まった後も、彼女の苦難は続きました。同期の長与千種さんと共に、彼女たちは「落ちこぼれ組」として先輩たちから格好のいじめの標的にされました。
当時の巡業は非常に過酷で、年間300試合をこなすことが求められ、東京に戻れるのは2か月に1回程度でした。
本名の松本香時代(出典:長与千種X)
ほとんど毎日が地方での興行で、宿泊先は主に旅館でした。先輩たちは、巡業の疲れやストレスを松本さんたちにぶつけるかのように、いじめを行っていたといいます。次から、そのいじめの具体例を見ていきましょう。
先輩たちからのいじめ
ある日、旅館の玄関に飾られていた亀の甲羅を背負わされ、「お前はのろまだから亀だ」と言われながら外を這い回らされました。先輩たちは笑いながらパンをちぎって投げ捨て、ダンプさんはそのパンを地面から拾って口に運ぶしかなかったと言います。
ダンプ・ザ・ヒール(出典:shogakukan-comic)
移動バスの中でもいじめは続きました。移動バスでは洗濯物を干すためのハンガーが常に吊るされており、選手たちのコスチュームや下着が干されていました。
ある日、先輩の一人が「お前は太っているから、ハンガーに干してやる」と言い、松本さんはTシャツの両肩を洗濯ばさみでつるされ、バスの中で約2時間もユラユラ揺れながら移動することを強いられたのです。そのときのつらさは、情けなさが勝って、涙すら出なかったそうです。
さらに、人生ゲーム用のおもちゃのお札を渡され、給油に立ち寄ったガソリンスタンドで、「まんじゅう、ください」と大声で言えと命令されました。
しかし、そのスタンドにはそんなものは売っておらず、店員に「ふざけるな!」と怒鳴られた際、先輩たちはバスの中からその様子を見てクスクス笑っていたといいます。
松本さんが戻ると、すでにバスは発車しており、運転手もいじめをしていた先輩たちに言われて発車せざるを得なかったようです。真っ暗な道を1キロほど追いかけ、ようやくバスが停まってくれました。
長与千種とダンプ松本:同期の苦しみと絆
同期の長与千種さんも、ダンプ松本さんと同様に厳しいいじめに耐え抜きました。彼女は肩幅が広く、先輩たちからは「新人のくせに何を肩で風切って歩いているんだ!」と非難されることが多く、次第に自然と猫背になってしまいました。彼女の明るい性格さえも、周囲の厳しい目によって影を潜めてしまったのです。
さらに、ある事件が長与千種さんをさらに追い詰めました。当時のトップレスラー、ジャッキー佐藤さんの財布が失くなるという出来事が発生し、全員が緊張する中、タイミング悪く千種さんは茶碗蒸しを食べていたため、下を向いていた長与千種さんが犯人にされてしまいました。
身の回りの持ち物をすべて調べられることになり、心無い言葉が飛び交う中で、千種さんは耐えるしかありませんでした。
今思えば、犯人は明らかだったものの、千種さんは何も言わずに我慢し続けました。しかし、彼女の体にしっしんができたときには「お前は病気だから近寄るな」とまで言われ、さすがに泣いてしまったと語っています。
いじめからの決意:ヒールへの転向
そんな過酷な状況にもかかわらず、ダンプ松本さんは「今に見てろ、必ずトップに立ってやる」という強い決意を持って耐え抜きました。彼女がヒールへの道を選ぶことになったのは、この時期の経験が大きく影響しています。
特に、リング上で悪役として名を馳せたマミ熊野さんが、彼女に手を差し伸べてくれたことが転機となりました。マミ熊野さんは、ダンプさんが新人時代に酷いいじめにあっていた際、彼女を度々庇ってくれたのです。また、レスラーを辞めようか悩んでいたダンプさんを影から支えてくれたとも言われています。このような優しさが、ダンプさんにとって大きな支えとなりました。
ダンプさんは、自身のブログやインタビューで「マミ熊野さんと池下ユミさんは優しくて大好きな先輩だった」と語り、彼女たちへの感謝の気持ちを綴っています。
悪役(ヒール)を演じる先輩たちから優しい言葉をかけられたことで、彼女は少しずつ自分の立ち位置を見つけていきました。一方、ベビーフェイスの選手たちには裏表があると感じ、信頼を寄せられないこともあったそうです。
この経験を通じて、ダンプさんは「悪役になろう」と固く決意することになります。1982年、彼女はデビル雅美さん率いるデビル軍団の一員となり、ヒールとして新たな一歩を踏み出しました。この選択が、彼女のプロレス人生における大きな転機となったのです。
先輩への仕返しを考えなかった理由
このように、ダンプ松本さんはデビュー直後から、同期の長与千種さんと共に先輩たちから激しいいじめを受けた経験を持っていますが、そんな状況でも「先輩に仕返ししようとは思わなかった」と語ります。
リングの上では先輩後輩は無くなる
ダンプさんはインタビューで「リングの上では先輩後輩の関係は消える」と話し、強くなれば自然と自分をいじめていた先輩を倒せると考えていたそうです。
彼女は「絶対に強くなる」という強い意志を持ち続け、プロレスの技術を磨きながら、いつか見返してやろうと努力しました。
実際、彼女はトップに上り詰め、ヒールレスラーとして名を馳せることに成功しています。ただ、ダンプさんがヒールレスラーとしていざリング上で倒す前に、その先輩たちはプロレスを辞めてしまったそうです。
それから、リングの外での仕返しについても、ダンプさんはきっぱりと「ないね」と答ているよ。
いじめた方は覚えていない
面白いことに、当時のいじめについて先輩に話しても、彼女たちは全く覚えていないことが多いそうです。「あのとき、こんなことがありましたよ」と伝えても、「そんなことあった?」と驚かれることがほとんどで、時には「名前を出すな」と怒られることさえあるそうです。
ダンプさんは「いじめた方は覚えていないんだよね」と苦笑いを浮かべつつ、その経験を乗り越え、今では笑い話にできるほどの余裕を持つようになったようです。
ダンプ松本をいじめていた先輩レスラーは誰?
ダンプ松本さんがデビュー当初に受けた厳しいいじめについては、プロレスファンの間でも多くの憶測が飛び交っています。
では、いったいそのいじめを行っていた先輩レスラーは誰なのでしょうか?ネット上では、特にナンシー久美さんの名前がよく挙げられているようです。
ネットの噂:ナンシー久美さんの名前が浮上
「ナンシー久美選手がダンプさんをいじめていたという話は、最近の漫画で明らかになっています。」「ナンシー久美にいじめられた後輩たちは、その後一流レスラーとして成長を遂げた」といった声がネット上に挙がっています。
このように、ダンプ松本さんが当時ナンシー久美さんからいじめを受けていたという噂は広く知られているようです。
ダンプさんを題材にした漫画でもいじめのエピソードが描かれていますが、ナンシー久美さんであると特定はしていませんし、漫画ではいじめている先輩は複数登場しています。
「ダンプ・ザ・ヒール」(出典:shogakukan-comic)
漫画「ダンプ・ザ・ヒール」ではいじめをしていた先輩レスラーとして「レイさん」「リリーさん」が登場しているね
「ダンプ・ザ・ヒール」は、ダンプ松本さんの実体験を元にした漫画で、原秀則さんが作画を担当。1980年代の女子プロレスブームを背景に、彼女がカリスマ的な悪役レスラーとして成功するまでの厳しい下積み時代やいじめを描いています。物語は、彼女が「極悪同盟」のリーダーとなる過程をリアルに描写しているマンガです。(出典:Amazon)
興味深いのは、「ナンシー久美さんにいじめられたとされるレスラーたちが、後に一流レスラーへと成長していった」というネット上の意見です。
実際、ダンプ松本さん自身もいじめの経験を糧にし、「絶対に強くなって見返してやる」という決意と共に、ヒールレスラーとして大成されました。
ナンシー久美さん(本名:金子久美子)は、1960年12月30日生まれ、神奈川県横浜市出身の元女子プロレスラーです。
1976年に全日本女子プロレスでデビューし、ビクトリア富士美さんとのタッグ「ゴールデン・ペア」で有名になりました。
1983年に一度引退しましたが、1986年にジャパン女子プロレスで現役復帰し、再び活躍しました。現在は空手道場「清心館」の指導員として活動しています。
ナンシー久美さんが1977年にリリースしたシングル「夢みるナンシー」。(出典:auctions)
どんとこい芸能界!―極悪ダンプの芸能界毒舌言いたい放題!(出典:Amazon)
ダンプはナンシー久美に散々いじめられたんだよね。ナンシーに手を縛られて体中にキックをされ続けた。
ダンプが挨拶しても返事もしてくれなかったこともあったんだ。性格がさ、イジワルだったんだろうと思うよ。(出典:どんとこい芸能界!―極悪ダンプの芸能界毒舌言いたい放題!)
ダンプ松本とナンシー久美は同じ年に生まれています。
ナンシー久美は1960年12月30日生まれで、ダンプ松本は1960年11月11日生まれ。
ダンプ松本の方が1ヶ月早く生まれましたが、ナンシー久美は1976年にプロレスデビューしており、ダンプ松本は1980年にデビューしたため、ナンシー久美が先輩なんですね。
ダンプ松本とナンシー久美の試合
1982年5月15日、大宮スケートセンターで行われたダンプ松本とナンシー久美の試合についてご紹介します。
ナンシー久美さんはおきれいなレスラーですね(出典:YouTube)
この試合では、ダンプ松本がパートナーのワイルド香月と組み、ナンシー久美とジャンボ堀のタッグチームに挑みました。
当時21歳のダンプ松本(リングネームは本名松本香)(出典:YouTube)
試合中、ダンプ松本がナンシー久美を持ち上げ、反撃に出る場面がありました。
この瞬間に、志生野実況アナウンサーは、「これ、控室ではこういった態度は絶対に取れないんですよね」「リングの上だけですね」とコメントしています。
ダンプ松本がナンシー久美を持ち上げ、反撃開始(出典:YouTube)
この発言は、リングの上での振る舞いと、控室での先輩後輩の関係が大きく異なることを示唆しているようでした。
ダンプ松本とナンシー久美の関係
一方で、ナンシー久美さんについては「いい人だった」という意見も見られます。
プロレス界がいじめや上下関係が厳しい時代であったことは否めませんが、こうした厳しい体験を経た後、ダンプ松本さん自身も先輩たちとの関係が変化し、現在では仲良くなっているという次のようなエピソードもあります。
仲の良い関係への変化
ダンプ松本さんの公式ブログには、ナンシー久美さんからの温かいメッセージが紹介されています。
ブログに寝れないって書いてるのを見たって心配してナンシー久美さんからラインがきた。ナンシーさんありがとう(出典:ダンプ松本公式ブログ(2023年3月7日))
過去にいじめの関係あったという噂が本当だったとしても、今では和解し、今では良好な友人関係に発展していることが伺えます。
昨日は 先輩のナンシー久美さんと 後輩の影かおるの店に(めしくい亭)行ってきた。
今は仲良し。ナンシーさんは空手をやってて今でも筋肉モリモリだったっす。(出典:2008年12月28日ダンプ松本ブログ)
ダンプ松本は全盛期に脱走していた!
ダンプ松本の脱走エピソード
ダンプ松本さんが現役全盛期に「脱走」を試みたエピソードは、ブル中野さんのYouTubeチャンネル「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」で語られています。
1987年4月、宮城県仙台での試合中、彼女は他のレスラーたちとバスに乗っていました。その際、「病院に行きたい」と言って仙台駅まで連れて行ってもらい、新幹線での脱走を試みたのです。実際には病院に行く必要はなく、一人で帰ることが目的でした。
脱走した代償は?
脱走の翌日、全女の会長・松永高司さんから電話があり、「頼むから戻ってきてくれ」と懇願されました。さらに、立野記代さんが迎えに来てくれたものの、ダンプさんには罰金50万円が科されました。
さらに罰として、前座として新人3人との試合で全て負けるよう指示され、プロレス雑誌では「ダンプ松本は辞めるのでは」と囁かれました。
この「見せしめ」の背景には、ベビーフェイスたちからの嫉妬がありました。ダンプさんはヒールでありながら人気を誇り、テレビにも頻繁に出演していました。
以前のヒールは表舞台に出ることが少なかったため、ダンプさんの成功に嫉妬したベビーフェイスたちは「そのくらいの罰をダンプ松本に与えろ」という声があったようです。
ベビーフェイスたちの嫉妬
全女としては、ダンプさんがバラエティー番組やCMに出演することで収益が上がるため、オファーがあれば積極的に受けていました。
しかし、ベビーフェイスたちは「ダンプをテレビに出すな」と抗議し続けますが、松永会長は「ダンプにお金を払っているのは全女であって、ベビーフェイスではないから気にするな」とかばってくれたと言います。
脱走は、プロレス自体が嫌になったわけではなく、ベビーフェイスの嫉妬心や恨みが嫌だったからこその行動でした。実際、脱走した翌日の試合では、影武者の影かほるさんがダンプ松本さんの代わりに出場しました。
影かほりさんはダンプさんよりも少し小柄だったため、一部の観客は「本物?ダンプ松本じゃないみたいだ」と疑う人もいましたが、彼女の技を完璧にコピーしたため、試合内容は本物のダンプ松本さんのようでした。
セコンドに入っていたレスラーも「ダンプ行けー」と叫び、まるで本物が試合をしているかのように演出されたため、その試合はなんとかごまかせたようです。
まとめ
今回は、ダンプ松本さんがプロ入り間もない頃に経験した先輩からのいじめについて掘り下げました。ダンプさんは、亀の甲羅を背負わされたり、洗濯バサミでつるされたり、練習中にボコボコにされたりと、過酷ないじめを受けたと語っています。
いじめの先輩として名が挙がるのはナンシー久美さんですが、ダンプ松本さんが語った記事の真偽は不明です。一方で、ナンシー久美さんが「いい人」という意見もあり、現在はメッセージのやり取りをする仲になっているようです。
新人時代のいじめを乗り越えた後、ダンプ松本さんはヒールとして成功を収めましたが、人間関係に悩み脱走を試みたことがあります。この脱走は、ベビーフェイスたちの嫉妬心や恨みが背景にあったと言われ、結果として罰金50万円と新人との試合でわざと負けるよう指示されることになりました。
大ヒット中のNetflix「極悪女王」の視聴と併せてお楽しみいただけたら幸いです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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