小山薫堂さんは、くまモンの生みの親として広く知られており、文化人として様々な分野で活躍しています。彼の結婚や家族について、そしてその本名や生い立ち、さらに憧れる女性のタイプについても気になるところです。
くまモンと、その生みの親小山薫堂さん
(出典:産経新聞)
この記事では、小山薫堂さんのプロフィールや家族情報に加えて、くまモン誕生の裏話や「くまモン」商品第1号についても詳しくご紹介します。ぜひ最後までお楽しみください!
小山薫堂さんの結婚・妻について
小山薫堂さんは結婚されていますが、奥さんについての詳細な情報は公開されていません。奥さんは一般の女性であり、プライバシーを守るため、具体的なプロフィールや生活についてはほとんど知られていないようです。
草野満代さんとの交際の噂
2002年には、小山薫堂さんとアナウンサーの草野満代さんとの交際が噂されました。報道によると、小山さんが草野さんのマンションを訪れている姿が目撃され、「不倫密会」として話題になったこともあります。
しかし、草野満代さんはこれを否定し、二人は「友人の一人」と説明しています。その後、二人の関係についての報道はなく、交際が進展することはなかったようです。
小山薫堂さんの憧れる女性のタイプ
小山薫堂さんは、文化に根ざした美しさを持つ女性に惹かれる傾向があるようです。たとえば、画家の松井冬子さんのように、外見が美しいだけでなく、その作品や人物に神秘的な要素を持つギャップが魅力的だと感じているそうです。
松井さんが四季の移ろいを知り、人を思いやる気持ちを持ちながらも、完全には読めない部分があると感じ、そのギャップが心を惹きつけると語っています。
日本画家の松井冬子さん
(出典:CINRA)
松井さんの手に負えない感じ。これが僕らを惹きつけてやまないものの正体なのかと感じました。(引用:FIGARO.jp)
また、小山さんは10代の頃から圧倒的な感性を持つ女性に惹かれる傾向があり、独特の存在感を持つ女性が、美しさを感じさせる重要な要素だと考えているようです。
同級生にものすごくお金持ちのお嬢さまがいて彼女と話していると、知らない世界に連れていかれるような、同時に自分の中にあるものが増幅していくような感覚を覚えました。(引用:FIGARO.jp)
恐らく、小山さんの奥さんも、こんな神秘的で圧倒的な美しさを持つ魅力的な女性なのではないでしょうか。
小山薫堂のプロフィールと家族
小山薫堂さんのプロフィール
本名 | 小山 薫堂(こやま くんどう) |
生年月日 | 1964年6月23日 |
年齢 | 60歳(2024年9月現在) |
出身地 | 熊本県天草市(旧本渡市) |
中学校 | 天草市立本渡中学校 |
高校 | 熊本マリスト学園高等学校 |
大学 | 日本大学藝術学部放送学科 |
小山薫堂さんは1964年6月23日、熊本県天草市で生まれました。本名の「薫堂(くんどう)」は、お父さんが考えた名前で、祖母の「芳子(よしこ)」と母の「孝子(たかこ)」から一音ずつ取り、最終的には「薫堂」となりました。
保育園に入る際に「よしたか」と「くんどう」のどちらにするか、父親から決めるよう言われ、小山さん自身が「くんどうがいい」と選んだそうです。
当時は戸籍にふりがなを記入する必要がなかったんだって
なるほど、それで、保育園までは名前の読み方は「よしたか」と「くんどう」の2通りを使えてたってことね。
ペンネームは「うどん熊奴」
小山薫堂さんがテレビ番組『料理の鉄人』の構成作家として活動していた時、彼は「うどん熊奴(くまやっこ)」というペンネームを使っていました。この名前、実は彼の本名「こやまくんどう」を逆さにしたアナグラムなんです。
「うどん熊奴」という名前には、小山さんのクリエイティブな面がよく表れています。独特の発想で名付けられたこの別名は、彼の独創的な仕事にぴったりのものですね。
「「こやまくんどう」を逆さに読んでみると「うどんくまやっこ」!
小山薫堂の家族構成
小山薫堂さんは父が26歳の時、母が27歳の時に長男として生まれました。4歳年下の弟が一人います。
小山さん幼少の頃
左:父の清嗣さん
中:小山薫堂さん
右:母の孝子さん
(出典:NewsPicks)
父:清嗣さん(1938年生まれ)
熊本県天草市で消費者金融と不動産賃貸業を営んでいたお父さん。ケチな一面がありながらも、お人よしでお金を貸しては「返してもらえなかった」と落ち込むことも多かったそうです。
お父さんから「人は知らず知らずのうちに最良の人生を選んでいる」と教わり、これが小山さんの楽観的な性格に影響を与えたと語っています。
父清嗣さんは、小山薫堂さんについて「薫堂は、のさりの男です。本当に皆様に恵まれたおかげです」と小山が50歳になっときに語っています。これは、小山さんが目の前にあるものをどうプラスに変えるかを、子どものころから父から学んできたからだと言われています。
「のさり」とは?小山薫堂の出身地である熊本の天草周辺の古くからの方言です。
「運命」や「恵み」を意味します。
良いことも悪いことも運命として受け入れるこの考え方は自然体でいいよね
母:孝子さん(1937年生まれ)
美容師として忙しく働いていた母孝子さんは、家にはお手伝いさんもいるほどでした。小山さんが生後36日目からは、近所の長崎出身のベビーシッターの老夫婦に預けられ、たくさんの愛情を受けて育ちました。この夫婦は、小山さんにとって第二の親のような存在で、温かい育て方をしてくれたそうです。
小山薫堂さんとお母さん
(出典:NewsPicks)
弟:将堂さん(1968年生まれ)
ダウン症で、現在56歳の将堂さん。小山さんは、弟さんの存在から「いろんな立場の人がいる」という視点を学びました。小山さんは小学2年生の時に、「弟の分まで頑張るように」とお父さんから言われ、その言葉が彼の努力の原動力になっているそうです。
小山さんの育った環境
小山さんが生まれた当初、お父さんとお母さんは忙しい仕事をしていたため、家にはお手伝いさんもいました。生後36日目から小学校に上がるまで、近所に住むベビーシッターの老夫婦にお世話になり、愛情たっぷりに育てられました。この環境が、小山さんの優しさや前向きな性格を育む基盤となったようです。
小山薫堂 経歴
小山薫堂さんは、多彩なメディアで活躍し、数多くの代表作を生み出してきました。彼の業績をいくつかご紹介します。
主なテレビ番組
カノッサの屈辱
1990年代に放送されたフジテレビの深夜番組で、歴史や文化をユーモラスに解説する内容が話題となり、広く支持されました。
進め!電波少年
冒険や挑戦をテーマにしたバラエティ番組で、視聴者からの高い支持を集めました。この番組の企画力とエンタメ性が光りました。
天才てれびくん
子供向けの教育バラエティ番組で、長年にわたり放送されており、子供たちに愛され続けています。教育と楽しさを兼ね備えた内容が特徴です。
ポンキッキーズ
子供向けの教育・エンターテインメント番組で、多くの子供たちに親しまれたこの番組は、楽しく学べる時間を提供しました。
世界遺産
世界各地の文化遺産や自然遺産を紹介するドキュメンタリー番組で、その深い内容と美しい映像が視聴者に感動を与えました。
映画・プロデュース・その他の業績
映画『おくりびと』
小山さんが脚本を手掛けた映画『おくりびと』は、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、国際的に高い評価を受けました。この成功は彼の脚本家としての実力を証明しています。
『料理の鉄人』
この番組では構成を担当し、日本国内外で大きな人気を博しました。独自の企画力が際立った作品です。
くまモンのプロデュース
熊本県のご当地キャラクター「くまモン」のプロデュースを手掛け、地域振興に大きく貢献しました。その愛されるキャラクターは、多くの人々に親しまれています。
湯道の提唱
お風呂文化を探求する「湯道」を提唱し、関連する映画の制作や書籍の執筆も行っています。お風呂文化に対する深い理解と情熱が込められています。
株式会社オレンジ・アンド・パートナーズ、株式会社下鴨茶寮の代表取締役、N35 inc.代表
これらの企業の代表取締役としても活躍し、多方面にわたる事業を展開しています。
京都芸術大学の教授、副学長
京都芸術大学では教授として教壇に立ち、副学長も務めています。教育界での貢献も大きいです。
「くまモン」生みの親 小山薫堂
くまモンと小山薫堂さん
(出典:日刊スポーツ)
誕生の背景とキャラクターデザイン
2010年、九州新幹線の全線開業を控え、熊本県は「くまもとサプライズ」キャンペーンを立ち上げました。目標は、熊本県の認知度をアップし、地域振興を図ること。そこで、小山薫堂さんが総合プロデューサーとして加わり、熊本県の魅力を伝えるためのアイデアを提案しました。
くまモンは最初はロゴ「くまもとサプライズ」のおまけでした。
(出典:熊本県ホームページ)
小山さんは、アートディレクターの水野学さんにデザインを依頼。数千パターンの案から選ばれたのが、現在の「くまモン」です。実はキャラクターとしての「くまモン」の導入は最初の計画には含まれておらず、「くまモン」は当初は「くまもとサプライズ」キャンペーンの一部として採用されました。
成功の要因は地元への寄り添い
「くまモン」の成功の鍵は、経済効果を狙わず、地元の人々に寄り添った点にあります。小山さんは観光キャンペーンの予算を、県民の幸福度を高めることに使うことを目指しました。外部から来た人々が地域の魅力を認識し、地元の人々がその価値を再発見することで、地域全体が喜びを感じるように仕向けたのです。
「くまモン」は、地元の人々に寄り添ったキャラクターとして設計され、大阪でのキャンペーンや吉本新喜劇への出演などを通じて親しまれるようになりました。地域とのつながりがキャラクターの愛される理由となり、全国に広がるきっかけとなりました。
最初からは経済効果を狙わず、地域への共感を大切にした小山さんのピュアな発想が、成功を生み出しました。
くまもんが熊本の特産物を敢えて身に着けていないことにはこういった理由があったんだね
狙いに行かなかったことが成功した秘訣だったのね
「くまモン」商品の第1号は「仏壇」
「くまモン」の商標第1号商品はなんと「仏壇」でした。このユニークな商品は、熊本市の輪島漆器仏壇店によって製作されました。仏壇にはくまモンのデザインが施された蒔絵が特徴で、観音開きの扉にくまモンのデザインが施されています。
くまモン仏壇
(出典:輪島漆器仏壇店)
「くまモン仏壇」は、熊本県の認可を受けた公式グッズとして、地域振興の一環として開発されました。この商品は熊本県の魅力を広めるための試みの一部として、多くの注目を集めました。さらに、「くまモン仏壇を写真に撮ると幸運になる」という話題が広まり、県外からも多数の来店者が訪れるなど、話題を呼んでいます。
まとめ
小山薫堂さんは、日本の放送作家や脚本家として広く知られており、また「くまモン」のプロデュースなど、多岐にわたる活動を行っています。京都芸術大学では教授としても教壇に立ち、幅広い才能を発揮しています。
家族については、妻に関する詳細な情報は公開されていませんが、父・母・弟がいます。幼少期には両親が多忙だったため、近所に住む老夫婦に育てられました。この経験が彼の価値観や人間性に大きな影響を与えたと言われています。
「くまモン」の商標第1号商品は「仏壇」で、これは熊本市の輪島漆器仏壇店によって製作されました。この仏壇は、県外からの大型量販店の出店ラッシュで倒産寸前だった地元の仏壇店を救う一因となり、地域振興に貢献しました。
「くまモン」の成功は、経済効果を狙わず地元に寄り添う姿勢によるものであるにもかかわらず、2023年には関連商品の年間売上高が過去最高の1,664億円に達しました。さらに、2011年の調査開始からの累計売上高は右肩上がりで1兆4,596億円を超えています。
今回は、小山薫堂さんの結婚や家族構成などプロフィールやこれまでの代表作品、それから「くまモン」の生みの親としての業績に焦点を当ててご紹介しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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