里見 紗李奈(さとみ さりな)選手は、東京2020パラリンピックで女子シングルスとダブルスの両方で金メダルを獲得し、現在も世界ランキング1位を維持するパラバドミントンのトップアスリートです。
(出典:JIJI.com)
彼女は高校時代に交通事故に遭い、車いす生活を余儀なくされました。その試練を乗り越え、今やパラバドミントンの世界ランキング1位に輝くまでに成長しました。
この記事では、里見紗李奈選手が遭った交通事故の詳細、車いすバドミントンを始めた経緯、家族のサポート、プロフィール、そして中学時代から高校時代の意外なエピソードについても紹介します。
里見紗李奈選手の交通事故について
里見紗李奈選手は高校3年生の時に交通事故に遭い、その結果、腰から下に障害が残り歩けなくなりました。ここでは彼女がどのようにして事故に遭ったのか、詳細をお伝えします。
事故発生時の状況
2016年5月、里見選手は高校3年生で、事故が起きた時は車の助手席に座って眠っていました。そのため、事故の瞬間を直接目撃することはなく、状況が把握できないままでした。
彼女が最初に感じたのは「運転席の人、大丈夫かな?」という不安。そして、「あれ? 自分の足が動かない…」という異常感覚。足に全く感覚がなく、動かせない状況にパニックを感じ、すぐに母親に携帯で連絡を取りました。
事故現場は自宅から1キロほどの場所であり、母親はすぐに駆けつけましたが、すでに里見選手の下半身に重大な影響が出ていました。
交通事故直後に「運転席の人、大丈夫かな?」と思ったということは、運転してい他人は家族じゃなかった、ってことだね。
そうね、友達かあるいはアルバイトのファミリーレストランの先輩かもしれないわね
事故の詳細と障害
この交通事故の結果、車は壁に衝突し、里見選手は脊髄を損傷しました。これにより、彼女は両下肢に障害が残ることになりました。事故の翌日には手術を受けましたが、その際、医師からは「歩けなくなる可能性がある」と告げられていました。しかし、彼女は当初それを深刻に受け止めず、「歩けるようになる」と信じていました。
事故後の葛藤と不安
里見選手は、歩けるようになることを信じ続けていますが、事故直後からすぐに歩けるようになる思っていた里見選手は、それが難しいと気づいたときは、激しいショックを受けました。特に、友達が卒業旅行に行く中で自分だけが入院していることへの悲しみは深く、SNSで友人たちの楽しそうな姿を見ては「なぜ自分だけが」と心が沈んでいきました。
リハビリ中の里見選手https://www.fnn.jp/articles/gallery/79556?image=2
彼女は自分が車いすに乗っている姿を友人に見せたくなく、中学時代からの親しい友人以外には、車いすになったことを言い出せませんでした。電車に乗る際に駅員にスロープを出してもらったり、また「時間がかかるから次の電車にしてね」と言われるたびに、「これからこういうことが増えるんだな」と、他人の手を借りることへの不安と不満を感じました。彼女は「このまま自立できないのではないか」というメンタル的な葛藤を抱えていました。
自立への葛藤
高校時代、里見選手は「ファミレス部」と自称し、ファミリーレストランで熱心にアルバイトをしていました。自分で稼ぐことに誇りを持ち、自立の道を着実に歩んでいると感じていた彼女は、高校卒業後には完全に独立できると考えていました。しかし、交通事故によってその夢は一時的に閉ざされてしまいます。
事故後は、家族や周囲に頼らざるを得ない状況に直面し、この新たな現実に対する葛藤が長い間続きました。この感情は、車いすバドミントンを始めるまで、里見選手を悩ませ続けたのです。
「ファミレス部」というのはファミリーレストランでのアルバイトのことだったんだね
里見選手は高校では運動部に入ってなかったのかしら?
そうだね、次は里見選手の中学と高校時代について詳しくみていこう
中学はバドミントン部、高校はファミレス部?
中学時代のバドミントン部
里見紗李奈選手は中学校時代にバドミントン部に所属していましたが、それはバドミントンが特に好きだったわけではありません。
当時、彼女の中学校では全員が部活動に参加する必要があり、選べる部活も限られていたため、「かわいらしい部活」としてバドミントン部を選んだのです。先輩たちが魅力的だったこともあり入部を決めましたが、本格的に取り組むことはなく、楽しむ程度で終わっていました。
中学ではバドミントンが好きで入部したわけではなかったんだね
必ず部活に入る必要があり、それてあまり厳しくない印象があったバドミントン部を選んだらしいわ
高校では部活に入らず
高校に進学した里見選手は、バドミントン部には入らず、スポーツから一旦離れることにしました。その代わりに、ファミリーレストランでのアルバイトに専念することを選びます。自らを「スポーツ頑張るタイプではない」と語る彼女は、接客業で人を喜ばせることに充実感を感じていました。
アルバイトに打ち込んだ日々
里見選手はファミリーレストランでのアルバイトに真剣に取り組み、仕事に対する情熱を持っていました。接客を通じて人に喜んでもらうことが、彼女にとって大きなやりがいとなり、将来も人と関わる仕事に就きたいと考えていました。
パラリンピック選手の多くは、元々スポーツが好きで、障害を負った後に再びスポーツに挑戦するケースが多いですが、里見選手はそれとは異なる道を歩んでいます。彼女にとって、接客の仕事が一番の楽しみであり、スポーツはそれほど重要なものではありませんでした。
スポーツよりも接客が好き、というのは意外だったね
他人に喜んでもらえる仕事が好きで、それが里見選手にとっても大きな喜びだったのね
そういう意味では、里見選手の車いすバドミントンの試合も多くの観客を喜ばせているよね
ええ、喜ばせているだけてなく、里見選手は多くの人に感動も与えているわ!
車いすバドミントンとの出会い
里見紗李奈選手が車いすバドミントンに出会ったのは、偶然の積み重ねによるものでした。
高校3年生の時に交通事故に遭い、車いす生活となった彼女は、リハビリを進める中で「車いすスポーツ」という新しい世界に触れることになります。
当初は人と関わることを避けたい気持ちが強かった彼女でしたが、父の強い勧めがきっかけで、車いすバドミントンの道を歩み始めました。
父の勧めで半ば無理やりバドミントンクラブへ
2016年5月に発生した交通事故から、里見選手は9カ月間の入院生活を経て、2017年2月に退院しました。その後約2カ月が経過した2017年4月か5月頃、里見選手はお父さん(里見 敦さん)に連れられて初めてバドミントンクラブを訪れることになりました。
入院中にリハビリの一環として車いすバドミントンや車いすテニスを体験する機会があった話を父にしたところ、お父さんは自宅近くで車いすバドミントンができる場所を探し出し、里見選手を連れて行くことにしたのです。
退院して以来、里見選手をはずっと引きこもりがちだったんだ
お父さんはそんな娘の紗李奈さんを何とか助けたかったのね
父の熱意とパラリンピックへの道
里見選手のお父さんが里見選手と連れて行ったクラブは「パシフィック車いすバドミントンクラブ」といい、村山浩選手が代表を務める車いすバドミントンクラブでした。
ここを初めて訪れた際、里見選手は村山浩選手と対戦する機会を得ました。
村山選手が彼女の体の近くに全て打ち返してくれることで、里見選手は上手く打ち返すことができ、「楽しいかも」と感じたものの、まだスポーツに対する本格的な意欲は湧かず、「趣味程度で続けるくらいかな」と軽く考えていました。
始めたばかりの頃は里見選手よりもお父さんの方が、車いすバドミントンに情熱を燃やしていたんだね
お父さんの方が里見選手よりも熱心だった、というのは何か情熱を傾けるものを娘のために探してあげたいという親御心だったかも
最初は半ば無理やりやり始めたパラバドミントン。でも家族の手厚いサポートで次第に真剣に向き合うようになったんだね
家族の愛って何よりも大切だって改めて感じるわ
活動拠点:千葉県障害者スポーツレクリエーションセンター
代表者:村山浩
対象者: 日常的に車いすを使用している方
活動日時:毎週水曜日の17時から21時まで
活動内容: 車いすバドミントンの練習や競技を行い、初心者から競技者まで幅広く参加が可能。競技用車いすの貸し出しあり
参加費:会費無料。参加者は新品のシャトルを2~3個持参する必要あり
パラバド界の父・村山選手との出会い
村山 浩(むらやま ひろし)選手
1974年3月25日生まれ(50歳)
千葉県千葉市出身
SMBCグリーンサービス所属
(出典:千葉市ホームページ)
しかし、村山選手から「パラリンピックを目指せるよ」という一言が飛び出し、驚きます。その言葉を聞いた父の敦さんはすっかりその気になり、以降、里見選手を熱心に練習に連れて行くようになりました。
里見選手は「もしチャンスがあればパラリンピックも」という程度の軽い気持ちでしたが、父の熱意に背中を押され、次第に本気で取り組むようになっていきました。
村山浩選手といえばパラバドミントン界のパイオニア的な存在だよね
パラバド界の父・村山浩選手は2020東京パラリンピックでは、シングルスでは4位入賞、ダブルスでは梶原大暉選手と組んで銅メダルに輝いたのよね!
村山浩選手はパリ2024パラリンピックにも出場するから楽しみだよ
素の自分をさらけ出せる場所として
このクラブで車いすバドミントンを続ける中で、里見選手は徐々にチームメンバーとの関わりに心の安らぎを感じるようになりました。
事故後は車いす生活になったことを友人に言えず、孤独感を抱えていた彼女でしたが、バドミントンクラブのメンバーとは自然体で接することができました。
同じタイミングでクラブに入った仲間と過ごす時間も心地よく、練習に打ち込むうちに、彼女は自然と週6日、7日と練習に夢中になっていきました。
さらに、クラブメンバーの中には一人暮らしをしながら自立している人もおり、彼らとの交流を通じて「車いす生活でも自立できる」という新たな視点を得ることができました。
このように、バドミントンクラブは彼女にとって、自分をさらけ出せることができる場所であり、新しい希望を見出す場となりました。
お父さんの熱心なサポートが感動的だよ
里見選手がずっと望んでいた「自立した生活」が再び現実的になったのがうれしいわ
成長と挑戦、そして家族の支え
(出典:スポニチ)
里見紗李奈選手のパラバドミントンの道は、当初は父の敦さんの勧めで始まったものでしたが、その中で次第に彼女自身の「負けず嫌い」の性格が強く影響しました。
彼女が成長していく過程での挑戦と家族のサポートが、どのように彼女を支え、金メダリストへと導いたのかを探っていきます。
負けず嫌いが引き出した情熱
里見紗李奈選手が初めて日本の代表選手が出る大会に出場したとき、実力の差にショックを受け、負けず嫌いの性格が強く火を付けました。
「村山選手から『パラリンピックを目指せる』と言われたことで、簡単にできると思っていた自分が、実際には全く敵わなかった。これが私のやる気に火をつけた」と語っています。
大会後、父が試合のビデオを撮り、分析することで、技術の向上に努めました。里見選手は、その強い向上心を持ち続け、練習に励みました。
負けず嫌いと言えば、里見選手はバドミントンのことで父親とぶつかり合うこともあったようだよ
「お父さんはバドミントンのこと何も知らないくせに!」と父親と熱い言い合いをしてたらしいわね
国際大会デビューとアスリートとしての自覚
2018年7月、里見紗李奈選手はタイ国際大会で初めての国際遠征を経験しました。この大会で、日本で最も強い選手、山崎悠麻選手とダブルスを組むことになり、東京パラリンピックを目指す気持ちが強まりました。
それまで「パラリンピックに出るとしたら2024年のパリ大会かな」と考えていた彼女の心境は一変し、悠麻選手に見合うパートナーになるために練習に一層力を入れるようになりました。
この時期からアスリートとしての自覚が芽生え、競技に対する本格的な取り組みが始まりました。
わずか3年で成し遂げた世界ランキング1位
(出典:https://number.bunshun.jp/articles/-/843600?page=4)
2017年にパラバドミントンを始めてから、里見紗李奈選手はわずか3年で以下の成績を達成しました。
2019年の国際大会の成績
- アイルランド国際大会
シングルス1位、ダブルス1位 - タイ国際大会
シングルス1位 - 世界選手権
シングルス1位、ダブルス3位 - ジャパン国際大会
ダブルス連覇
これら、輝かしい実績を収めた里見選手は、シングルスとダブルスの両方で世界ランキング1位に輝きました。
プレッシャーと恐れを乗り越えて
ネックレスは父からのプレゼント。
ピアスは世界選手権優勝時の両親からのお祝い。大きな試合には必ず身に着けるそうです。
(出典:POWERフレーズX)
2017年にパラバドミントンを始めて3年足らずで、シングルスとダブルスの両方で世界ランキング1位に輝いた里見選手。追われる立場となり、プレッシャーが大きくのしかかりました。
このプレッシャーと恐れがモチベーションに変わった瞬間は、2020年東京パラリンピックのシングルス予選リーグで中国の尹夢璐(イン・ムロ)選手に敗れたことでした。
「この敗戦で心が揺れたが、家族やトレーナーのサポートで気持ちを切り替え、再び強い気持ちで挑むことができた」と振り返ります。
この東京大会での準々決勝や決勝戦での逆転勝利は、家族の支えがあったからこそ成し遂げられたものでした。
尹夢璐選手とのまさかの敗退。これが里見選手の転機になったんだね
尹夢璐選に負けた後、里見選手は自ら家族と連絡を取って何気ない会話を交わしたそうよ
里見選手の兄からは「緊張させないでくれ」と言われたんだって
何気ない家族との会話で気持ちを切り替えることができたのね!
家族の支えと感謝の気持ち
2020東京パラリンピックで金メダルを獲得。親孝行できたと涙を浮かべる里見紗李奈選手(出典:日刊スポーツ)
里見選手の成功の裏には、常に家族のサポートがありました。
特に父親の支えは大きく、試合のビデオ撮影や応援を通じて、彼女の成長を見守り続けました。
2019年11月のジャパン国際大会でダブルスで優勝した際には、感動の涙を流す父の姿に里見選手は「父が泣いている姿はあまり見たことがない。やっていてよかった」と心から感じたといいます。
「村山選手の言葉と父の熱意、そしてコーチの指導があったからこそ、今の私がある」と感謝の気持ちを述べています。
車いす姿を見られるのが嫌で、引きこもりになった時期があったなんて今では信じられないね
お父さんがバドミントンの道に里見選手を連れ出してくれたおかげよね
里見紗李奈選手のゴールドポストとは?
(出典:首相官邸ホームページ)
設置場所と時期
里見紗李奈選手のゴールドポストは、東京パラリンピックでの2種目金メダル獲得を記念して設置されました。設置場所は、千葉市中央区のJR千葉駅東口バスターミナル定期券売り場横で、2022年1月末に設置されました。
(出典:首相官邸ホームページ)
ポストの特徴
ポストには里見選手の名前と競技名、功績が記されたプレートが取り付けられています。設置場所は駅を正面に見た際に、バス定期券売り場の右横に位置しています。
ゴールドポストプロジェクトは、東京2020オリンピック・パラリンピックで金メダルを獲得した日本代表選手を称えるため、日本郵便株式会社と協力して設置される金色の郵便ポストです。このプロジェクトは、スポーツの栄光を称えつつ、郵便文化やユニバーサルデザインの推進を目的としています。
里見紗李奈選手のプロフィール
里見紗李奈選手の基本情報
名前 | 里見 紗李奈(さとみ さりな) |
生年月日 | 1998年4月9日(26歳) |
出身地 | 千葉県八街市 |
所属 | NTT都市開発 |
競技クラス | パラバドミントン WH1 |
利き腕 | 右 |
事故 | 高校3年生の時に交通事故で脊髄を損傷し、両下肢に障がいが残る |
里見紗李奈選手の出身学校
小学校 | 八街市立二州小学校 |
中学校 | 八街市立八街南中学校 |
高校 | 千葉県立千城台高等学校 |
里見紗李奈選手の主な試合成績
世界選手権 | 2019年 スイス | 女子シングルス WH1 優勝 女子ダブルス WH1-WH2 銅メダル |
世界選手権 | 2022年 東京 | 女子シングルス WH1 優勝 女子ダブルス WH1-WH2 優勝 |
世界選手権 | 2024年 タイ | 女子シングルス WH1 3位 女子ダブルス WH1-WH2 3位 |
パラリンピック | 2021年 東京 | 女子シングルス WH1 優勝 女子ダブルス WH1-WH2 優勝 |
その他 | 2021年 | 紫綬褒章受章 |
まとめ
里見紗李奈選手の交通事故
里見紗李奈選手は、2016年5月に交通事故に遭い、その結果として車いす生活を余儀なくされました。事故後、約9カ月間の入院生活を送りながらリハビリに励みました。リハビリの一環として車いすバドミントンや車いすテニスを体験しましたが、事故後の自立や社会復帰に対しては多くの不安や葛藤がありました。
高校時代のファミレス部とは?
中学時代にはバドミントン部に所属していた里見選手ですが、高校時代は部活には参加せず、アルバイトに専念しました。
特にファミレスでのアルバイトに熱心で、自立している自分に誇りを感じていました。人と接することが好きで、接客を通して喜んでもらうことに幸せを感じ、将来は人と接する仕事に就きたいと思っていました。
バドミントンのきっかけとなった父の役割
車いすバドミントン競技を本格的に始めるきっかけとなったのは、父親の強い勧めでした。父は自宅近くのバドミントンクラブを探し、半ば無理やり里見選手を連れて行きました。
当初は趣味程度の気持ちで始めたスポーツも、次第に競技に対する情熱が芽生え、人生を変える大きなきっかけとなりました。
(出典:https://number.bunshun.jp/articles/-/843600?page=4)
「ちょっとずつ、いいことが増えていくと、『車いすになってよかったな』と思える。これからも『車いすになってよかった』と感じられる人生にしたい」と語る里見選手の姿勢は、困難な状況を乗り越えた先に見える前向きな未来を示しています。
車いすになってからの里見選手の成長に感動したよ
ますます里見選手のことを応援したくなったわ
里見紗李奈選手のクラスである女子シングルス WH1の決勝がLiveで放送される予定です。
- NHK総合(地上波)
- 9/3 (火) 0:10〜5:00(日本時間)
時間帯は深夜になりますがぜひLiveで観戦・応援しましょう!
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