2024年パリ・パラリンピックで初出場を果たすボッチャの有田正行選手(44歳)。
その成功の裏には、「ランプオペレーター」として全力でサポートする妻の有田千穂さん(41歳)の存在があります。
千穂さんは、競技に欠かせない存在であり、選手としてだけでなく嫁としても有田選手をサポートし続けています。そんな二人の絆が、今注目を集めています。
左:妻の有田千穂さん
右:ボッチャ有田選手
https://www.facebook.com/photo?fbid=1983972465245292&set=pcb.1983973998578472
千穂さんはどのような人物であり、どのようにして有田選手と出会い、結婚に至ったのでしょうか。
馴れ初めが気になりますね。
また、結婚10周年を迎えた二人の夫婦生活はどのようなものなのでしょうか。
ボッチャ競技において、千穂さんはどのようにして夫の有田選手をサポートし、共に成長してきたのか。お二人のプロフィールや夫婦の二人三脚の歩みを詳しくご紹介します。
また、有田正行選手の障害について、さらにボッチャを始めたきっかけや、電動車椅子サッカーからの転向についても深堀していきます!
有田正行選手と妻・千穂さんのプロフィール
有田正行選手のプロフィール
有田正行(ありた まさゆき)
生年月日:1980年3月24日(44歳)
出身地:兵庫県
クラス:脳性まひBC3
所属:株式会社電通デジタル
有田千穂選手のプロフィール
有田千穂(ありた ちほ)
生年月日:1982年11月12日(41歳)
出身地:兵庫
職業:夫である有田正行選手のランプオペレーター(RO)
訪問介護の介護福祉士
手や脚を使えないボッチャのBC3クラスの選手をサポートする役目です。選手がランプを使ってボールを投げる際、ランプオペレーターは選手の指示でランプを操作し、ボールをセットします。BC3のランプオペレーターは、勝てばメダルをもらえ、選手として扱われます。
ランプを操作する千穂選手。
ランプオペレーターは、BC3クラスにおいて正式な選手として登録されており、アシスタントとは立場が明確に区別されています。https://www.nishinippon.co.jp/image/815167/
有田選手と千穂さんの出会いのきっかけは?
有田選手と千穂さんが初めて出会ったのは、2009年のことです。当時、有田選手は29歳、千穂さんは27歳でした。
正行選手が電動車椅子サッカーの選手として活躍していたその頃、千穂さんはボランティアスタッフとしてチームに加わり、彼をサポートをしていました。
2016年7月電動車椅子サッカー 兵庫県大会で優勝したとき。
この頃はまだ二人は彼氏・彼女の関係でした。
https://readyfor.jp/projects/PowerChairFootballARITA/announcements/41266
二人が初めて出会ったのは、まさにそのサッカーチームの活動を通じてのこと。共に同じ時間を過ごす中で、徐々にお互いを理解し合い、信頼関係が築かれていきました。
有田選手と千穂さんの結婚はいつ?
交際5年で結婚へ
二人の関係は、徐々に深まり、ついに2017年6月25日に結婚を果たしました。当時、正行さんは34歳、千穂さんは31歳。交際期間は5年間に及び、お互いをしっかりと理解し合った上での結婚でした。
試合外ではこんなリラックスした表情を見せる仲良しのご夫婦です。https://readyfor.jp/projects/PowerChairFootballARITA
特別な日を選んだ結婚記念日
実はこの6月25日という日付には、特別な意味があります。
これは二人がお付き合いを始めた記念日だったのです。交際記念日を結婚の日に選ぶというロマンチックなエピソードから、二人の絆の強さがうかがえます。
結婚生活は役割分担がはっきりと
結婚後の生活では、家事や家計の分担がしっかりと決められており、ゴミ出しや片付けは正行選手が、料理や洗濯は千穂さんが担当しています。
また、家計に関しても工夫がされており、家賃や光熱費は正行選手が負担し、日々の生活費は千穂さんが支えています。このように、二人は役割分担を明確にしながら、協力して円満な家庭を築いています。
家族との時間を大切に
遠征時には、正行選手が妻のご両親に飼い犬のチワワを預けることもあり、家庭内でのコミュニケーションも大切にされています。
二人の関係は、支え合いながらも楽しく、充実したものとなっており、今後も競技を続けながら仲良く過ごしていきたいと語っています。
有田正行選手がボッチャを始めたきっかけとは?
なぜ、有田正行選手はボッチャ競技を始めたのでしょう。どんな理由があったのでしょうか。次は、有田正行選手がボッチャを始めたきっかけについて詳しくみていきましょう。
電動車椅子サッカーからの転向
電動車椅子サッカー選手時代の有田正行さん。
2011年には日本代表として参加したフランスW杯で得点王を獲得するほどの名プレイヤーでした。
https://keru.pictures/
有田正行選手のボッチャへの転向は、偶然の出会いと大きな決断の結果でした。
もともと電動車椅子サッカーの選手として活躍していた有田選手は、2017年3月に開催された高橋和樹選手の講演会でボッチャに出会いました。
有田正行選手の人生に大きな影響を与えた、ボッチャの高橋和樹選手(1980年2月3日生まれ)
https://mainichi.jp/articles/20210903/ddl/k11/050/120000c
高橋和樹選手(ボッチャ)。高校2年生のとき、柔道の試合中に事故で頚椎を損傷し、車いす生活に。その後、2014年からボッチャを始め、2016年のリオデジャネイロパラリンピックに出場。2020年東京パラリンピックでは銀メダルを獲得。
この後、有田選手は高橋和樹選手のこの講演会をきっかけに、自分のパラ競技の選択肢の可能性の拡大を考え始めることになります。
大会落選が転機に
2017年の3月8日、有田選手はアメリカで行われる電動車椅子サッカーのW杯最終メンバー発表を迎えましたが、残念ながらそのリストに有田正行の名前はありませんでした。
この落選が彼にとって大きな打撃となり、スポーツキャリアの新たな方向性を模索する契機となりました。この絶望的な状況から、ボッチャという新しい挑戦に踏み出す決断をしたのです。
「世界で戦えるアスリート」への挑戦
ボッチャを始めた背景には、「世界で戦える力を持つアスリートであり続ける」という強いモットーがありました。
有田選手は、国際大会での活躍を目指し、ボッチャという新たなフィールドで自らの可能性を試すことを決意しました。これまでの電動車椅子サッカーで培った経験を生かしながら、パラリンピック競技であるボッチャに挑戦することを選んだのです。
電動車椅子サッカーはパラリンピックの種目ではないんだね
パラ五輪種目ではない電動車椅子サッカーは国際大会が限られる。世界で活躍するためには電動車椅子サッカーから転向する必要があったのね。
転向からパリパラリンピックへ
2017年4月にボッチャを本格的に始めた有田選手は、その後もさまざまな国際大会での経験を積みました。
特に2021年の日本選手権での優勝や、2023年のアジア大会での5位入賞し世界へ飛躍するきっかけをつかんだことが、彼のボッチャキャリアにおける重要なターニングポイントとなりました。
これにより、2024年のパリ・パラリンピック出場が決まり、長年の努力が実を結ぶこととなりました。
ランプオペレーターとしての千穂さんの役割
ボッチャの試合中、プレーの戦略を決める重要な役割を担っているのが「ランプオペレーター(RO)」です。
ランプの位置を丁寧に調整するランプオペレーターの千穂選手https://www.parasapo.tokyo/featured-athletes/arita-masayuki
ロープレ―やセッティング、試合中の迅速な判断など、試合の流れを大きく左右するこの役割を担当しているのが、千穂さんです。彼女の存在がなければ、試合の勝敗が大きく変わっていたことでしょう。
夫婦の新たな挑戦
有田正行選手が2017年に電動車椅子サッカーからボッチャに転向した際、妻・千穂さんも新たな役割を担うことになりました。
真剣な表情でボールをランプにセットする千穂さん
https://www.paraphoto.org/?p=24864
それまで、コートでプレーするのは夫だけで、千穂さんは主にチームスタッフとしてサポートしていればよかったのです。ところが、ボッチャでは千穂さんもランプオペレーターとして、試合に直接関与する必要があります。
「最初は、ただのサポート役だと思っていました」
と振り返る千穂さん。
彼女は最初、その役割の重要性を完全には理解しておらず、夫の新たな挑戦に「巻き込まれた」感を抱えながらも、新しい役割に取り組むことになりました。
サポートから選手へ
最初の数年間は、千穂さんにとって非常に苦しい時期でした。
ボッチャを自主的に始めたわけではなく、夫をサポートしながらも自分も一選手としてコートに立つことに感情が追いつかず、戸惑いがありました。しかし、サポートしたい気持ちは常に持ち続けていました。
「きみが本気になると僕たちは強いよ」
と夫が口にする言葉の意味を、千穂さんが実感したのは2023年の第24回日本ボッチャ選手権BC3で初優勝した時でした。
迅速に道具をセットするランプオペレーターの千穂選手
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この勝利を通じて、夫婦の連携が非常に重要であることを深く理解し、ランプオペレーターとしての自分の役割がどれほどチームの成功に寄与しているのかを実感したといいます。
有田選手のルーティン「アリタイム」とは
「アリタイム」とは、有田選手が試合前にとにかく早く準備を進める習慣を指します。
有田選手の「ありた」がそのネーミングの由来です。
実際の集合時間より30分ほど早く到着し、しっかりと準備を整え、イメージを固めるための時間を確保するこのルーティンは、夫婦間でも密に共有されています。
千穂さんによれば、実際のチーム集合時間よりも早い時間に設定されている「アリタイム」が、有田選手の準備の徹底ぶりを示しているとのこと。
呼びかけの意味を読む「あ・うん」の呼吸
千穂さんは、試合中の夫の呼びかけに対する深い理解を持っています。
例えば、夫が「なぁ」と呼びかける時の語尾の上がり下がりで、何かひらめいたのか、あるいは練習の場面での悩みを表しているのかを瞬時に読み取ることができるようになったといいます。
こうしたコミュニケーションのスキルが、試合中の戦略的な判断に大いに役立ってるようです。
有田正行選手の競技成績
では、ここからは有田正行選手の主な競技成績をみてみましょう。
2024年3月、有田正行選手はペアの一戸彩音選手と2024ワールドボッチャパラリンピック予選で銀メダル獲得。パリ五輪出場権を得ました。
左:有田正行選手&妻:千穂選手
右:一戸彩音選手&父:賢司選手
https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20240328-OYT1I50101/
【国際大会】
- 杭州2022アジアパラ競技大会 (中国)
3位(個人・BC3男子) - 香港2023ワールドボッチャアジア・オセアニア地域選手権
5位(個人・BC3男子) - コインブラ2024ワールドボッチャパラリンピック予選(ポルトガル)
準優勝(BC3ペア)
【国内大会】
- 第24回日本ボッチャ選手権(2023)
準優勝(個人・BC3男子) - 第25回日本ボッチャ選手権(2024)
優勝(個人・BC3男子)
有田正行選手の障害について
難病:脊髄性筋萎縮症(SMA)
有田正行選手が3歳の頃、彼の身体には脊髄性筋萎縮症(せきずいせいきんいしゅくしょう spinal muscular atrophy)という珍しい障害があることが分かりました。
この障害は、10万人あたり1~2人という非常に稀なもので、診断を受けたときには家族や医療チームも驚きと困惑を隠せませんでした。
症状の進行と不安
脊髄性筋萎縮症は筋肉が徐々に萎縮し、身体の自由が失われていく進行性の障害です。
有田選手は3歳から身体の自由が奪われていき、少しずつ筋肉の喪失が進み、動作が困難になることが日々の不安や恐怖を生み出しました。
医師からの厳しい予測
診断を受けた医師からは「20歳前後が寿命」と告げられました。
この厳しい言葉は、有田選手本人だけでなく、家族にとっても非常に辛いものであり、未来に対する大きな不安を抱えることとなりました。
しかし、有田選手とその家族はこの現実に立ち向かい、できる限りのことに挑戦する姿勢を崩しませんでした。
障害を乗り越えた挑戦
歳を重ねるごとに身体の動きが制限される中で、有田選手は電動車いすサッカーからキャリアをスタートし、その後ボッチャという新しい道に挑戦しました。
当初、重度の障害を抱える自分にスポーツが可能だとは信じられなかった彼にとって、車いすでできるスポーツとの出会いは人生を大きく変える瞬間でした。
第21回ボッチャ日本選手権大会(2019年12月)
ボッチャとの出会いのきっかけを作ってくれた高橋和樹との対戦。
結果は有田正行選手の勝利。https://www.paraphoto.org/?p=24864
ボッチャに挑戦することで、彼は新たな希望と可能性を見出しました。今では、パリ・パラリンピックに出場するほどの実力を持つまでに成長しました。
この大きな成績を達成するにあたり、彼の妻との出会いやサポートが大きな支えとなりました。彼の姿は、多くの人々にとって、困難を乗り越える力と、希望を持ち続けることの重要性を示しています。
有田正行が尊敬する人物と人生のロードマップ
尊敬する人物:アイルトン・セナの影響
有田選手が尊敬してやまない人物、それはフォーミュラ1のレジェンド、アイルトン・セナです。
実は、有田選手が飼っているチワワにも「アイル」と名付けるほど、セナに対する愛情と尊敬の念は深いものがあります。
セナの魅力は単なる速さや技術にとどまらず、彼の人柄にもあります。特に、ホンダエンジンを搭載していた時期に、日本のエンジニアやスタッフに感謝の気持ちを示すために、わざわざ訪問して称賛したエピソードが有名です。
このような姿勢から、多くを学んだ有田選手は、火ノ玉JAPANチームのスタッフやトレーナー、監督に対しても感謝の気持ちを忘れず、プレーに取り組んでいます。
セナの人柄に影響を受けた有田選手は、尊敬と感謝の心をもって、日々の努力を重ねています。
人生を通して実現したいこと
有田選手の人生における重要な指針は「目標を絶やさないこと」です。
ダラっと過ごすことは好まず、常に目的と目標を持ち続けることが彼のスタイルです。
ボッチャを辞めた後も、新たな目標を立てて、そこに向かって進んでいく意志を持っています。この姿勢が、彼の努力と成果を支えているのです。
パリでの目標と未来への展望
パリ・パラリンピックは、有田選手にとって大きな目標でありながら、単なるゴールではありません。彼は、そこを目指してきたものの、最も大切なのはその過程です。
観客に「この人の生き様だ」と感じてもらえるような、しっかりとした足跡を残したい
と語ります。自信を持って自分のプレーを表現し、人生の新たな章を切り開く決意を示しています。
まとめ
今回のブログでは、ボッチャ選手・有田正行さんと、その妻でランプオペレーターの有田千穂さんについてお話ししました。結婚10周年を迎えた二人は、まさに「チーム」としての強さを見せています。
有田正行選手の挑戦
正行さんは、脊髄性筋萎縮症という難病と向き合いながら、電動車いすサッカーからボッチャに挑戦。身体の自由が制限される中での新しいスポーツの世界に飛び込む姿は、本当に感動的です。
パリ・パラリンピックに向けて、日々の努力を惜しまない彼の姿勢には、多くの人が勇気づけられています。
千穂さんのサポート
一方、千穂さんはランプオペレーターとして、試合中の重要な役割を担いながら、夫を全力でサポート。
夫の正行選手の指示に忠実にランプをセットする妻の千穂さん
https://www.paraphoto.org/?p=24864&page=3
最初は「巻き込まれた」と感じることもありましたが、今では見事に役割を果たしています。
二人三脚で支え合いながら、共に戦っているその姿は、まさに理想のパートナーシップを象徴しています。
最後に
パリ大会での試合の後もお二人のこんな素晴らしい笑顔をまた見せてくださいhttps://www.paraphoto.org/?p=31996
有田夫妻の物語は、スポーツだけでなく、人生そのものを考えさせられるものです。
困難に立ち向かい、互いに支え合いながら前進し続ける彼らの姿から、たくさんの勇気と感動をもらえます。
もうすぐ始まる、パリ・パラリンピックでの活躍を心から応援しています!
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