山崎悠麻2児のママの生活は?試合経歴やプロフィール【パリ2024パラリンピック】

パラリンピック

山崎 悠麻(やまざき ゆま)選手は、パラバドミントン界で輝かしい成果を上げているトップアスリートです。

東京パラリンピックでは、女子シングルスで銅メダル、女子ダブルスでは金メダルを獲得し、多くの人々に感動を与えました。特に、女子ダブルスのパートナーである里見紗李奈選手との息の合ったプレーは素晴らしく、世界の強豪を相手に数々の勝利を収めています。

さらに、山崎選手のストーリーは、競技と育児の両立という点でも多くの人々に尊敬されています。

それでは、山崎悠麻選手のプロフィールやこれまでの歩みについて詳しく見ていきましょう。

山崎悠麻選手のプロフィール

山崎悠麻選手(出典:日野市ホームページ)

山崎悠麻選手の基本情報

山崎悠麻選手は、競技者としての強さだけでなく、その生き方も多くの人々に影響を与えています。そんな彼女の基本情報とこれまでの歩みを詳しく見ていきましょう。

名前山崎 悠麻(やまざき ゆま)
生年月日1988年4月8日(36歳、2024年8月現在)
出身地東京都国分寺市
種目パラバドミントン(WH2クラス)
所属NTT都市開発

名前: 山崎 悠麻(やまざき ゆま)
生年月日: 1988年4月8日(36歳、2024年8月現在)
出身地: 東京都国分寺市
種目: パラバドミントン(WH2クラス)
所属: NTT都市開発

山崎悠麻選手の経歴

1995年(7歳): 小学校2年生でバドミントンを始める。

2000年(12歳): 小学校6年生でジュニアチームのダブルスプレーヤーとして全国大会に出場。

2004年(16歳): 高校1年生の冬に交通事故で脊髄を損傷し、腰から下の感覚を失う。

2006年(18歳): 専門学校在学中に一部身体機能が回復。

2008年(20歳): 専門学校卒業後、調布市役所に就職。

2010年(22歳): 一般男性と結婚(夫・篤史)。

2012年(24歳): 第一子・倖翔(ゆきと)を出産。

2013年(25歳): 全国障害者スポーツ大会でパラバドミントンを観戦し、競技を始めるきっかけとなる。

2014年(26歳): 第二子・翔湊(かなた)を出産し、同年10月に競技に本格的に復帰。12月の日本選手権で準優勝。

(出典:パラサポweb)

専門学校時代

山崎悠麻選手は、高校卒業後、公務員を目指して専門学校に進学しました。しかし、車いすでの生活には多くの課題がありました。

例えば、学校内でのトイレのアクセスが不便で、最寄りのトイレは狭く、使うために工夫が必要でした。

このような日常の試行錯誤が、後に腰から下の感覚が徐々に回復するきっかけとなり、最終的には膝より上の感覚を取り戻すことができたといいます。

バドミントン再開のきっかけ

山崎悠麻選手がバドミントンを再開するきっかけとなったのは、育休中の2013年にさかのぼります。

この年、東京で開催された全国障害者スポーツ大会を観戦していた彼女は、そこでパラバドミントンの元日本代表選手、小倉理恵さんから「一緒にバドミントンをやってみない?」と声をかけられました。

この誘いを受けたものの、すぐに二人目の妊娠がわかり、競技を一時中断せざるを得ませんでした。

しかし、バドミントンへの情熱は消えることなく、彼女の心の中にずっと残り続けていたのです。

復帰後短期間で収めた好成績

2014年10月、次男を出産した山崎選手は、いよいよ本格的にバドミントンに復帰しました。

驚くべきことに、復帰からわずか2ヶ月後の12月には日本選手権で準優勝を果たし、さらに翌年の世界選手権ではベスト8に進出しました

この短期間での飛躍的な成果は、「もしかしたら東京パラリンピックに出場できるかもしれない」と、彼女に新たな夢を抱かせるきっかけとなりました。

夫の大きなサポート

忙しい育児と公務員としての仕事を両立しながら、山崎選手がバドミントンを再開できた背景には、夫・篤史さんの大きなサポートがありました。

山崎選手は、「子どもたちの送り迎えやサポートが必要なので、協力してもらわないと始められない」と夫に相談しました。

すると、篤史さんは「やりたいことがあるなら、ぜひ挑戦してみて」と温かく背中を押してくれました。彼は何も言わずにサポートを続け、育児に積極的に関わりながら、家事の負担も軽減してくれたのです。

育児との両立と復帰後の成果

山崎選手は振り返って、「育児との両立は本当に大変でしたが、夫のサポートがあったおかげで何とか続けることができました」と語っています。

夫は家事が得意ではないものの、育児には積極的に参加し、山崎選手が競技に集中できる環境を整えてくれました。

そのおかげで、彼女はわずかな期間で世界レベルの選手へと成長し、2020年東京パラリンピックへの出場を果たすまでになったのです。

ライリー
ライリー

山崎選手が復帰後に急成長できたのは、やっぱり旦那さんのサポートがあったからだね!

モーリー
モーリー

家庭と競技を両立させるママアスリート、ほんとに憧れるわ!

調布市役所からNTT都市開発への移籍

山崎悠麻選手(出典:婦人画報)

山崎悠麻選手は、2017年に調布市役所を退職し、NTT都市開発に転職しました。この背景には、彼女の競技に対する強い意志と決意がありました。

調布市役所でフルタイム勤務を続けながらバドミントンに取り組んでいた山崎選手ですが、2016年11月に出場したアジア選手権で大きな転機が訪れます。この大会で中国のLIU YuTong選手と初めて対戦し、11-21、4-21という惨敗を喫しました。

山崎選手は、「相手はおそらく中学生くらいだったと思いますが、動きが速すぎて、何が起こっているのかわからないうちに試合が終わってしまいました。このままでは中国に勝てないと、強く実感しました」と振り返ります。

転職という大きな決断

この敗北をきっかけに、山崎選手はより充実した練習環境を求めるようになりました。当時、彼女は調布市役所でフルタイム勤務を続けつつ、平日の夜や週末にしか練習ができない状況でした。

さらに、合宿や遠征には有休を使わなければならず、有休残数が気になるとともに、子どもの急な体調不良に備えることも大きなプレッシャーでした。

「今の環境ではこれ以上強くなれない」と感じた山崎選手は、ついに転職を決意します。彼女は夫と一緒に慎重に条件を検討し、競技引退後も続けられる安定した職場が必要だと考えました。

しかし、当時のパラアスリート向け求人は契約社員がほとんどで、練習時間と家庭とのバランスを取るのが難しい状況でした。

NTT都市開発への移籍と新たな環境

そんな中、仕事での縁を通じてNTT都市開発という企業に出会い、2017年9月に調布市役所を退職して移籍することを決意しました。

この転職により、通常の勤務が週1日となり、専任コーチとのマンツーマン練習が可能になりました。

この環境の変化が、彼女にとって大きな飛躍の一因となり、東京パラリンピックへの出場権獲得やさらなる成長につながったのです。

ライリー
ライリー

一生勤めるつもりだった調布市役所を退職するなんて、本当に大きな決断だっただろうね。

モーリー
モーリー

その勇気ある選択のおかげで、山崎選手は競技に集中できるようになったのね!

家族が支えるパワーの源

https://the-ans.jp/column/358380/2/

「競技と仕事と家庭を両立させるのは大変では?」とよく尋ねられる山崎悠麻選手ですが、彼女の考え方は少し違います。山崎選手にとって、家族の存在は単なる支え以上のものであり、彼女の原動力となっています。

家族がいるからこそ頑張れる

山崎選手は次のように語っています。

「逆に、私は家族がいるからこそ競技を続けていられます。子どもや夫、そして愛犬の存在が、私にとってのパワーの源です。

もしも、仕事とバドミントンだけの生活だったら、きっと息詰まっていたと思います。家族がいるからこそ、どんなに忙しくてもモチベーションを高く保てるし、頑張れるんです」

この言葉には、彼女がどれほど家族に支えられているか、そして家族との時間が彼女にとってどれほど大切かがよく表れています。

山崎選手にとって、家庭は競技に集中するための土台であり、どんなに忙しい日々でも、その存在が彼女を支え、前進する力を与えているのです。

ゆまさりペア!里見紗李奈とのダブルス

(出典:毎日新聞)

2020年の東京パラリンピックでは、山崎悠麻選手が女子シングルスで銅メダル、そして里見紗李奈選手とのダブルスで金メダルを獲得しました。ゆまさりの愛称をもつこのペアは二人の息の合ったプレーと深い信頼関係で、多くのファンを魅了しました。

初めてのペアでの成功と挑戦

山崎選手と里見選手は、2018年のアジアパラ競技会女子ダブルスで初めてペアを組み、堂々の銅メダルを獲得しました。この成功を機に、山崎選手は「世界一のダブルスになること」を目指すようになりました。

それまで山崎選手は、世界で一番強い選手に勝つイメージが湧かなかったそうですが、里見選手とペアを組むことで「勝てるイメージ」が具体的になり、パラリンピックで金メダルを目指す強い気持ちが芽生えたと言います。

姉妹のような関係性

山崎選手と里見選手のペアは、2024年で7年目を迎えます。年齢差は10歳ありますが、山崎選手は二人の関係を「先輩・後輩というよりも、姉妹のような関係」と表現しています。

合宿や大会では、二人は常に一緒に過ごし、散歩や買い物、夕食を共にし、帰ってからも一緒にお風呂に行くなど、プライベートでも深い絆を築いています。

山崎選手は「単純に気が合う」と語り、里見選手も「最初は私がダメダメで、悠麻さんに助けてもらってばかりだったけど、徐々に自分も成長できた」と振り返ります。

パリ大会への意気込み

現在、山崎選手と里見選手の目標は、パリパラリンピックでの2連覇です。

山崎選手は「東京で金メダルを獲れてすごく嬉しかった。また里見とダブルスを戦いたい」と意気込みを語り、再び金メダルを目指して奮闘しています。

ライリー
ライリー

山崎悠麻選手と里見紗李奈選手のゆまさりペアは、二人とも所属が同じ『NTT都市開発』なんだよね。

モーリー
モーリー

そうね、山崎選手は「総務人事部」で、里見選手は「財務部」に所属しているのよ。

山崎悠麻選手の東京パラリンピックから最近までの試合実績

(出典:毎日新聞)

東京2020パラリンピックで輝かしい成績を収めた山崎悠麻選手は、その後も国内外の大会で力強いパフォーマンスを続けています。ここでは、東京パラリンピック以降の主な試合実績を振り返ります。

2021年東京2020パラリンピックシングルス3位
ダブルス1位
2022年タイ国際パラバドミントン大会2022シングルス1位
ダブルス1位
2023年ヒューリック・ダイハツ Japanパラバドミントン国際大会2023シングルス3位
ダブルス1位
2023年杭州 2022 アジアパラ競技大会シングルスベスト8
ダブルス準優勝
2024年NSDF Royal Beach Cliff BWF パラバドミントン世界選手権2024シングルス 3位
ダブルス3位

まとめ

競技人生の転機と成果

山崎悠麻選手のバドミントンの旅は、挑戦と成長の連続でした。

彼女の競技人生は、2013年の観戦を契機に始まり、子どもを持ちながらの復帰、そして次男の出産後の素晴らしい成果へと続いていきました。

転職によって得た新たな環境は、彼女が競技に専念するための大きな転機となり、最終的には東京パラリンピックでの金メダル獲得へとつながりました。

ゆまさりペア:里見紗李奈選手とのコンビネーション

特に、里見紗李奈選手とのダブルスのコンビネーションは見事で、二人の息の合ったプレーは世界中のファンを魅了しました。

里見選手との10歳の年齢差を超えた強い絆と、共に成し遂げた成果は、パラバドミントン界における金字塔となっています。

家族の支えとモチベーション

山崎選手の成功の背後には、家族の支えがあります。仕事、家庭、競技の三重のバランスを保ちながらも、家族の存在が彼女にとってのパワーの源であることを、彼女自身が語っています。

家族との時間が、どんなに忙しい日々の中でもモチベーションを高め、競技に対する情熱を持ち続ける力となっているのです。

ライリー
ライリー

山崎悠麻選手と里見紗李奈選手のユマサリペアのダブルスの試合が楽しみ!

モーリー
モーリー

パリ大会でもきっと金メダルとれると信じてるわ

パリ2024パラリンピックへの期待

山崎悠麻選手は、夫の支えを受けながら子育てと競技生活を見事に両立させ、多忙な日々の中で輝きを放っています。

パリ2024パラリンピックでは、山崎悠麻選手と里見紗李奈選手のゆまさりペアのパラリンピック金メダル2連覇に期待が高まりますね!

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